ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1136話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その3)

知寄町で折り返す電車を撮影し、早々次の撮影場所へ移動ですが、東の後免方面ではなく西の伊野方面へ向かうことにしました。

 

1.630 (知寄町:1994年8月)

ちょうど伊野行の630が折返して来たので、これに乗りました。行き先表示は「伊野」ではなく「いの」です。しかも表示板まで「いの」。なぜそんなに「いの」を強調するのか、よそ者の私には何とも不可解です。

 

2.609、606 (蛍橋:1994年8月)

さて、播磨屋橋を越えて伊野線に入りましたが、このまま伊野まで乗車すると日が暮れてしまいそうなので、鏡川橋で降りました。土佐電は鏡川橋から伊野方面は単線となります。この先がロケーション的に面白いことは知っていましたが、この日は列車本数が多い播磨屋橋方面に戻りながら撮影です。

 

3.626 (蛍橋:1994年8月)

蛍橋には土佐電の留置場があります。そこで駐泊する車両もあるのか、覗いてみましたが空っぽでした。

 

4.629 (上町四丁目~上町五丁目:1994年8月)

鏡川橋までは列車本数が多いので列車が次々とやって来ますが、この辺りも知寄町と同じ様に自動車が多く、沿道からの撮影は難しいです。撮影できないまま上町五丁目まで歩いて来ました。

 

5.608 (上町四丁目~上町五丁目:1994年8月)

上町四丁目~上町五丁目間には、ちょうどよい陸橋があったので、無難に陸橋からの撮影です。

 

6.701 (上町四丁目~上町五丁目:1994年8月)

結局、この日はこの場所で日暮れまで撮影をしました。この日は高知で宿泊ですが、どこのホテルもいっぱいで、宿探しが大変でした。最悪高松へ戻る覚悟をしましたが、なんとか宿が見つかり助かりました。あるホテルで宿泊を断られた際、どうして混んでいるのか聞いたところ、翌日は「よさこい」とのこと。・・・で、「よさこい」って何?。恥ずかしながら、「よさこい祭り」のこととは知りませんでした。しかし、「よさこい祭り」でこれほど宿がいっぱいになるとは、とんでもない日に高知に来てしまったものです。

 

7.801 (上町四丁目~上町五丁目:1994年8月)

ホテルにチェックインする時に、フロントで「よさこい」を見に来たのか問われました。そうでない私は返事に困り、笑ってごまかしました。普通の人なら即答で「よさこい」見物でしょうが、私は「よさこい」ではなく「土佐電」です。翌朝は早朝から再び桟橋車庫です。