2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧
この頃の有田鉄道は、1日5往復走りましたが、この日は午前中の撮影となりました。午前中は3往復走りますが、午前中とは言え走行は朝なので、乗って撮影するとなれば2番列車以降の2往復の撮影となります。 1.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月) 最…
紀州鉄道に続き今回は同じ頃の有田鉄道です。紀州鉄道は日中も頻繁に列車を走らせていましたが、こちらの有田鉄道は訪れる度に列車本数が減り、乗るのも撮影するのも難しい鉄道になってしまいました。おまけに、デカいキハを走らせるのがもったいないので、…
今回も紀伊御坊から御坊に向けて歩きながらの撮影です。紀州鉄道は、路線長が2.7kmしかなく、沿線撮影がまともに出来るのは御坊~学問間の田園地帯くらいなので、いつも同じ場所で同じような撮影になってしまいます。 1.キハ603 (学問~御坊:1995年1月…
4年ぶりの紀州鉄道訪問です。しかし、何の変化もありません。お隣の有田鉄道は、とうとう経費節減が限界に達して、減便に踏み切り、燃費の悪いキハを諦めて中古のレールバスを導入しました。それを見ていた紀州鉄道ですが、こちらも厳しい状況でありながら運…
名鉄岐阜市内線は、徹明町で美濃町線方面に分岐していました。この美濃町線方面も悩ましい市内電車でしたが、その実態は第660話でお伝えした通りです。長良北町方面への市内本線が廃止された後、岐阜市内線は揖斐線系統と美濃町線系統に完全に区分されてしま…
名鉄の古い電車を追い掛けて、いつも揖斐線に出向いていましたが、忘れがちなのが岐阜市内線でした。今回は1995年当時の岐阜の繁華街を走る市内線の様子をお伝えします。この頃の岐阜の繁華街は沿道のアーケードを改修している最中でした。どの写真もものも…
もうラッシュは終わろうかという頃に、ようやくモ510形がやって来ました。2連の黒野行きの普通列車でした。 1.モ512+モ513 (旦ノ島~尻毛:1995年11月) この当時、モハ510形は3両在籍していました。普段は朝と晩に運用されていた様です。名鉄の看板電車…
モ510形はなかなか現れませんが、名岐・愛電のコンビがやって来ました。以前は3連だった朝の運用は、いつの間にか2連になりましたが、それでも輸送力列車として、貴重な存在でした。 1.モ704+ク2327 (旦ノ島~尻毛:1995年11月) モ700形は基本的にモ750…
私が初めて名鉄揖斐線を訪れたのは1985年でした。あれから毎年の様にモ510形を追い掛けて、気が付けば10年も経っていました。この10年はローカル線にもいろいろと変化がありましたが、名鉄揖斐線は新車こそ導入されたものの、幸い旧型車の全滅は免れて私の趣…
南海貴志川線のモハ1201形が1995年3月に消滅し、南海唯一の吊掛車となった1521系ですが、これも風前の灯でした。貴志川線同様に高野線の22000系や21000系などが新車の投入でローカル線に玉突き転出となり、余剰となった1521系が羽倉崎の車庫に留置されていま…
南海電鉄1521系は吊掛電車ですが、いわゆるアコモ改造車の部類なので正直興味がありませんでした。少なくとも貴志川線のモハ1201形とは別物でした。しかし、1521系を見るために出向いた汐見橋線は別な意味で印象的でした。とても大阪市内のド真ん中に存在す…
1995年3月末に南海の離島だった貴志川線のモハ1201形が引退してしまいました。これで南海電鉄もようやく新性能化がなされたかと思いました。 ・・・が、しかし、大阪市内に、こっそり吊掛車が残っていました。 1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月) …
ラッシュ後の車庫を一通り撮影しましたが、興味ある車両のほとんどが車庫にいました。逆に言えば、本線に出ている車両はつまらな車両ばかりと言うことです。 1.クハ171,クハ181,デハニ52他 (平田市:1994年5月) 一畑電鉄の車両は、この時点ではいつも…
土曜日の朝ラッシュの撮影を終えて、平田市の車庫に行きました。特別に見たい車両があったわけでもなく、天気も完全に曇ってしまったので、時間調整のつもりでしたが、じっくりと車両を見ることができました。 1.クハ172、クハ103 (平田市:1994年5月) …
この日は土曜日だったので、朝のデハニの運用を撮影して、あっと言う間にノルマ達成です。しかし、天気がイマイチでどうも達成感がなく、その後も撮影を続けましたが全く気合が入りません。 1.デハ83+クハ183 (布崎~平田市:1994年5月) ここは布崎から…
この日2回目のデハニ50形の撮影も、大寺付近で行うことにしました。少しは違った構図で撮ろうと、あちこち歩きまわりましたが、結局、元の場所に戻ってしまいました。 1.デハニ52+クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年5月) 田圃の状況は田植えも終わって…
1994年は仕事の都合で広島に滞在していたので、一畑電鉄の撮影機会が増えました。しかし、一畑のデハニを撮影するには、平日か土曜日の朝しかチャンスがなく、可能性としては、金曜日に出雲市行きの最終バスに乗って、金曜日中に出雲市に移動するしかありま…