ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1058話 1995年紀州:基本は質素倹約

4年ぶりの紀州鉄道訪問です。しかし、何の変化もありません。お隣の有田鉄道は、とうとう経費節減が限界に達して、減便に踏み切り、燃費の悪いキハを諦めて中古のレールバスを導入しました。それを見ていた紀州鉄道ですが、こちらも厳しい状況でありながら運行本数を固守し、まだまだキハを使い続けていました。当時の紀州鉄道を見ていると、経費節減の基本は質素倹約にあるようでした。

 

1.キハ605,キハ603 (紀伊御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123321j:plain

車庫がある紀伊御坊の側線には、予備車のキハ605がいつも鎮座していました。そろそろ朽ち始めた様です。全く動いた気配はなく、もしかして4年前に見た時から動いていないのでは?

 

2.キハ605 (紀伊御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123349j:plain

せっかくトルコン化、ワンマン化したのに、何とももったいないと思いました。しかし、これが究極の質素倹約です。動かせば経費がかかります。恐らくこの車両が動く時は、キハ603か604のどちらかが潰れた時でしょう。でも、キハ603,604は元気ですぐには潰れそうにありませでした。

 

3.キハ605標記 (紀伊御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123114j:plain

キハ605は、もともと常磐炭鉱の専用線で通勤輸送用に導入された車両でした。車両長は12.2mしかなく、レールバス並でした。車番は既存車の追番で605と標記されましたが、認可上の形式はキハ1000形です。この車両は、紀州鉄道には岡山臨港鉄道経由で移籍しましたが、岡山臨港時代はキハ1003でした。たしか、紀州に来た当初は岡山臨港時代のままで車番もキハ1003と標記されていましたが、その後1987年に改造されてこのスタイルになった時点でキハ605になった様です。この車両の移籍当初の姿は第47話をご覧下さい。

 

4.キハ605 (紀伊御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123436j:plain

キハ605は、キハ603,604に比べて小さいので燃費もよさそうでしたが、当初から調子が悪かった様で、一度も営業に出ていないうちにオブジェになってしまいました。こんな事なら、改造せずに元のままの姿で残して欲しかったです。この車両の岡山臨港時代の様子は第19話をご覧下さい。

 

5.キハ603 (紀伊御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123513j:plain

さて、調子が良さそうなキハ600形ですが、この日はキハ603が運用されていました。この車両は元大分交通の車両で、18m車なので紀州鉄道には大きすぎる存在でしたが、お隣の有田鉄道のキハ58形に比べればマシでした。

 

6.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

f:id:kk-kiyo:20220416123702j:plain

わずか3両の小世帯なので、車庫の訪問はあっという間に終わりです。せっかく御坊まで来たので、沿線撮影に出向きました。久々の紀州鉄道でしたが、車両は変わらず撮影場所も同じです。