ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

第676話 1994年高松琴平:やはり旧型が気になる(その2)

まだ3月でしたが、東京に比べて高松の日の入りは遅く、まだまだ撮影は可能でした。この日は東京ではなく、広島に戻るので日没までたっぷり撮影ができました。 1.870+750 (西前田~高田:1994年3月) この日は日中も870や750などの中堅中古車が運用に入っ…

第675話 1994年高松琴平:やはり旧型が気になる

1994年3月のある日、朝から本腰を入れて琴電琴平線の沿線撮影に出向きました。その様子は、第595話~第599話でお伝えしましたが、日中の琴平線は1070形や1080形の元京急電車ばかりで全く面白くなく、不完全燃焼でした。・・・で、もう帰る途中でしたが、やは…

第674話 1992年富山地鉄:多彩な面々(その4)

毎度、富山地鉄のオマケは市内線の様子です。 この時も天気が悪く、時間つぶしの延長で南富山を訪問しました。 1.デ3533+デ3534 (南富山:1992年11月) まずは挨拶程度にこの2両の撮影です。もう11月なのでそろそろ冬支度の季節です。この電車は除雪列車…

第673話 1992年富山地鉄:多彩な面々(その3)

今回は第587話に続く富山地鉄の、本線撮影の様子です。 以下8月の写真は、当日の朝から小口川第3発電所の資材運搬軌道を現地まで見に行った帰りに撮影したものです。その日は歩き過ぎて(前日も立山砂防の樺平まで歩いて往復)足が棒になっていましたが、変…

第672話 1992年富山地鉄:多彩な面々(その2)

富山地鉄の稲荷町車庫は色んな車両が出入りするので飽きることがありません。 特にこの時は京阪から購入した車両の改造工事もオープンに実施されており、新旧の車両が同居していました。しかし、旧型車がめっきり少なくなってしまいました。 1.クハ173、ク…

第671話 1992年富山地鉄:多彩な面々

1992年は立山砂防に3回も出向いたあおりで、北陸地方のローカル線を撮影する機会も多くなりました。特に富山地鉄は京阪3000系の導入で吊掛車の置き換えが進んでおり、立山砂防とセットで毎回撮影を行いました。 今回は第587話の続きで、1992年8月と11月の富…

第670話 1992年伊豆箱根(大雄山):羽振りが良かった頃(その2)

大雄山線の走行撮影は3年半ぶりでした。このブランクの間に旧型車はめっきり減ってしまい、代わりに新鋭の5000系が増えました。 1.クモハ5005+モハ5006+クハ5503 (相模沼田~飯田岡:1992年4月) 当時の伊豆箱根鉄道は羽振りが良かったのでしょうか、大…

第669話 1992年伊豆箱根(大雄山):羽振りが良かった頃

以前、第269話~第271話で1988年当時の伊豆箱根鉄道大雄山線の様子をお伝えしましたが、その後は近場だったにもかかわらず、さっぱりご無沙汰しており、その間にも新車はしくしくと増備されていたので、もう旧型車はなくなってしまったのかと思っていました…

第668話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部(その5)

今回は、ようやく黒部峡谷鉄道に乗車です。 しかし、この鉄道は運賃が非常に高い!。単なる時間つぶしなのに、終点の欅平まで往復すると当時でも2500円ほどかかりました。しかも駅の窓口で更に料金の高いリラックス車を勧められましたが、私の決断はオープン…

第667話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部(その4)

黒部峡谷鉄道の運行頻度は相当なものです。山彦橋梁に1時間もいれば、もういいと言うほど撮影ができました。もう撮影するものもありませんので撤収したいところですが、まだ昼前です。この日は天気の回復は見込めず、更なる時間つぶしのため、いよいよ黒部峡…

第666話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部(その3)

この日は、初めて黒部峡谷鉄道に乗ることにしましたが、その前に宇奈月にある山彦橋で列車撮影です。車両が小さいのでほとんどが望遠撮影となりましたが、天気が悪かったので露出が厳しく、ピントも甘い最悪の画像になってしまいました。 1.山彦橋を渡るDD…

第665話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部(その2)

黒部峡谷鉄道の車両は特殊限界の制約から生まれた大変興味深い面々でしたが、車両は徐々に進化していました。既にL型機は引退し、専用線時代の凸型機もほとんど走っている姿を見ることはできませんでした。 1.ED13、DD23 (宇奈月:1992年11月) 右側の箱…

第664話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部

1992年は立山砂防の撮影を中心に北陸地方のローカル私鉄へよく出向きましたが、いつも晴れているとは限らず、雨の日はどこかで時間つぶしをしなければなりませんでした。たいていは富山地鉄を乗り回したり、富山界隈をブラブラしていましたが、それだけでは…

第663話 1992年岳南:貨物が頼りだった頃(その3)

岳南鉄道は東急5000系が導入されるまで、12両の電車が在籍していましたが、そのうち8両が元小田急電車で、この8両は5000系と入れ替わり、再就職のあてもなく全車が廃車となり、そのうち5両がダルマとなって残存しました。 1.ED402、モハ5002+クハ5102 (比…

第662話 1992年岳南:貨物が頼りだった頃(その2)

この頃の岳南鉄道は、まだ貨物輸送主体の鉄道だったように思います。もっとも貨物輸送のために開業した路線なので当然です。しかし、国鉄の貨物合理化の煽りや荷主様の都合で、バブル期とは言え、かつて程の活気はありませんでした。 1.ED402 (比奈:19…

第661話 1992年岳南:貨物が頼りだった頃

今回は1992年に初めて訪問した岳南鉄道です。 私にとって東海地方のローカル私鉄は、大井川鉄道以外ほとんど縁がありませんでした。理由は古い車両が走っていなかったからです。この当時は、静岡鉄道も遠州鉄道も立派な自社発注車で運行されていましたし、岳…

第660話 1992年名鉄(岐阜):悩ましい市内電車

1992年のGWは近鉄北勢線と養老線を訪問し、帰りは大垣に出ました。そして、岐阜から豊橋までは名鉄を利用するため岐阜で下車しましたが、まだ時間もあるのでたまには岐阜市内線の電車でも見ようと車庫のある市ノ坪へ向かいました。 これまで岐阜と言えば名鉄…

第659話 1992年名鉄(揖斐・谷汲):いつまでも大正時代!!

1992年の正月も谷汲線詣に出向きましたが、実は一畑電鉄の帰り道でした。 正確には、年末から琴電~一畑~谷汲と渡り歩き、吊掛電車三昧でした。新年早々、金毘羅山にも出雲大社にも谷汲山華厳寺にも寄らず、大変ばちあたりではありますが、これも限られた日…