ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第668話 1992年黒部峡谷:雨が降ったら黒部(その5)

今回は、ようやく黒部峡谷鉄道に乗車です。

しかし、この鉄道は運賃が非常に高い!。単なる時間つぶしなのに、終点の欅平まで往復すると当時でも2500円ほどかかりました。しかも駅の窓口で更に料金の高いリラックス車を勧められましたが、私の決断はオープンカーで途中折返し!!。

とりあえず、猫又まで切符を購入しようと申し出ると、猫又は下車できないとの返事。ならば1駅戻って平出は? これもダメ。じゃあ、どこなら降ろしてくれるのか?

結局、更に2駅戻って黒薙なら下車できるとのことで、黒薙まで行くことにしました。

 

1.ED形の牽引する旅客列車 (黒薙~笹平:1992年11月)

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 初めて乗った黒部峡谷鉄道の車両は、一番安いオープンカーでした。一本前の列車は乗れないほど混んでいましたが、それは団体客だったようで、私が乗った列車は嘘の様にガラガラで1両に1人だけ。さて、黒薙とはいったいどんな所なのか?まったく見当も付かぬまま、肌寒い小雨の黒部峡谷を吹き曝しのオープンカーで黒薙を目指しました。

 

2.ED形の牽引する旅客列車 (黒薙~笹平:1992年11月)

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 列車は各駅に停車します。ほとんどの駅が交換駅となっており、列車交換が行われました。しかし、どの駅も下車できません。もっともこの鉄道は終点まで1往復して黒部峡谷の景色を楽しむため観光化された路線で、途中下車する客などまずいません。

宇奈月から黒薙までは6km程です。あっと言う間に到着でしたが、下車してビックリ、黒薙はとんでもないところでした。この写真は黒薙駅のホームから乗って来た列車を後追い撮影したものです。

 

3.ED形の牽引する旅客列車 (黒薙~笹平:1992年11月)

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 この鉄橋は、後曳橋という橋梁で、黒部峡谷鉄道の宣伝ポスターにもしばしば登場する場所でした。単に折り返すだけに下車したわけですが、いきなりの絶景です。晴れていれば素晴らしい写真が撮れたはずですが、残念ながら雨で、露出も更に厳しい撮影となりました。

 

4.ED13の牽引する旅客列車 (黒薙:1992年11月)

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 ED13の牽く貨物列車がやって来ました。ホームには駅員さんの姿が見えます。この列車は貨物列車なのでゆっくり通過して行きました。

 

5.ED13の牽引する貨物列車 (黒薙~笹平:1992年11月)

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  ED13の牽く貨物列車を後追い撮影です。

 

6.ED17の牽引する貨物列車 (黒薙~笹平:1992年11月)

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 今度は、ED17の牽く貨物です。連続して凸型機の列車を撮影できました。大変好ましい、模型化したい編成です。

 

7.ED17の牽引する貨物列車 (黒薙:1992年11月)

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 さて、黒薙駅はなぜ途中下車できたのか、それは小さい温泉宿があるからです。

黒薙温泉という知る人ぞ知る秘境の温泉宿です。しかし、その温泉は駅前ではなく山道を歩かねばなりません。だからほとんどの観光客は通過してしまいます。ところで、この写真には左方向に延びる側線とトンネルが写っています。実は、このトンネルは黒薙温泉に通じる短絡通路を兼ねており、通行禁止の看板が出ていますが、この当時はまだ温泉利用客が使っていた様です。そして気になるのがこの側線の行方です。この後、予定を変更して側線の散策を行いました。あとから確認したところ、この側線は黒薙支線という非電化の関西電力専用線でした。その散策の様子は別途お伝えします。

その22年後、2014年に念願だった黒薙温泉に泊まりました。その際には温泉までの山道が整備されており、トンネルの通行は完全に禁止されていました。現在もこのトンネルは通行禁止です。