久々の北勢線は、正直、初めての場所に来たような感じでした。・・・と言うのも、私が知っている北勢線は33年前の近鉄北勢線です。なにより戸惑ったのが、駅の統廃合によって、33年前の記憶とかみ合わない現状でした。かつての撮影場所も、どこの駅で下車す…
25年ぶりに道楽を再開し、今年4月に三岐鉄道へ貨物の撮影に出向きましたが、三岐カンパニーの一員となった北勢線を忘れてはいけません。撮影旅行二日目の午前中は北勢線の近況を確認するため、久々の北勢線に向かいました。久々と言っても、実は2012年に家族…
モハ3563の営業運転は滅多にありません。おそらく今回の走行が、古き良き浅野川線に対する最後のはなむけになったと思います。 1.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月) ところで、モハ3563のおさらいですが、この車両は遡れば、今は亡…
北陸鉄道浅野川線は1996年12月に昇圧され、在籍車両が一掃されるなど新装開店されましたが、新装開店のちょっと前に、モハ3563が走りました。 1.モハ3563 (内灘:1996年11月) この日は朝からモハ3563はパンタを上げてスタンバイです。これは、或る同好団…
とうとう雨になってしまいました。撮影時に雨が降るといつも思うのですが、自分が何の為に撮影に来ているのか、自問自答が始まります。しかし、この日は赤電こそ走りませんが、まもなく置き換わる車両をできるだけ撮影しなければなりません。幸い暗くはなく…
この前日は素晴らしい五月晴れでした。しかし、この日はどんよりとしており、時々陽が射しましたが基本的に曇り空でした。日曜日なので赤電も走らないので、列車の運用状況を確認したら帰ろうかと思うほど消極的になってしまいました。 1.クハ183+デハ83 …
今回の一畑電鉄は、第1324話の続きの翌日です。 この日は日曜日でした。一畑電鉄の日曜日は赤電が走らず、ラッシュもなく、ちょっと前までは残念な日曜日でしたが、秋にはカルダン車が導入されるため、もう残念などと言ってられなくなりました。 1.クハ181…
三岐鉄道はJR東海211系の導入で元西武電車を一掃する計画ですが、JR東海211系改め三岐5000系は全て3連で8編成導入されます。そうなると2連がなくなります。3連ばかりでは輸送力過剰なように思いますが・・・。 1.クハ1881+モハ881+クモハ851 (丹生川~三…
1992年以来33年ぶりに三岐鉄道の貨物列車を撮影しましたが、実は13年前の2012年に貨物鉄道博物館を訪問していました。その時は列車の撮影はほとんどしていませんでしたが、伊勢治田で秩父のデキ200形が留置されているのを目撃しました。しかし、これは廃車留…
貨物列車の撮影は、陽の向きによっては機関車が逆光になるため、順光撮影の効率が宜しくありません。三岐鉄道の場合、機関車順光で藤原岳をバックに撮影するには午前中が勝負です。 1.ED451+ED454+貨車16両 (三里~丹生川:2025年4月) 復刻塗装のED451先…
三連休なのでブログが捗ります。よって、今日もアップします。 さて、久々の三岐鉄道訪問は貨物列車の撮影が目的でしたが、どういうわけか西武電車の撮影が続きました。その中には33年前には見なかった車両も・・・。 1.クハ1881+モハ881+クモハ851 (丹生…
この日は北勢線の楚原から三岐本線の丹生川まで歩きました。1991年(34年前)にも同じルートを歩いたことがありましたが、その日は真夏の炎天下だったので、撮影する気力も失せる程でした。その時の様子は第603話をご覧ください。 1.クモハ104+クモハ103 …
今年の4月に私の道楽である「撮り鉄」が復活し、貨物列車を求めて三岐鉄道に出向きました。その初日の様子を近況編2-1~2-5でお伝えしましたが、今回はその続きである2日目の三岐鉄道をお伝えします。2日目の午前中は北勢線を訪問しましたが、それは別途お伝…
大阪から東海道本線の鈍行を乗り継いで吉原まで来ました。もう夕方ですが、まだ陽が射していたので、再び途中下車をして、こんどは岳南鉄道です。岳南鉄道は1992年にも訪問しています。その時の様子は、第661話~第663話をご覧ください。 1.ED501 (比奈:…
この頃、勤務地だった大阪から東京の実家へ戻る際に、たまには東海道線をノンビリと戻ろうと思い、大阪を早朝に出発しました。しかし、いつもの寄り道癖が出てしまい、浜松で途中下車をしました。その目的は、遠州鉄道の吊掛電車である湘南タイプの30系を撮…
蹴上で撮影をした後、帰りは京津三条まで歩きながら撮影です。しかし、蹴上から京津三条方面の併用軌道区間は自動車の通行量が多く、撮影が難しい区間です。 1.89+90 (東山三条~蹴上:1997年9月) これは80形の後追い撮影ですが、運良く赤信号で自動車が…
京津線の80形は併用軌道区間の電停に停車するために走っていました。普通と準急が交互に運行されていましたが、共に15分間隔でした。よって、普通しか停車しない電停では15分間隔なので、屋根もない道路上の電停で最長15分待ちは結構キツく、道路渋滞でなか…
蹴上での撮影が続きます。蹴上の少し山科寄りには京津線の鉄軌分界点がありました。その先は九条山を越えるまで専用軌道です。併用軌道区間は道路幅が狭いので軌道内の自動車の通行が認められていました。よって、電車はいつも渋滞に巻き込まれていました。…
京阪電鉄京津線の地下鉄乗り入れまであと1か月少々となった頃、まだ残暑が厳しい京都でしたが、山科へ向かいました。 1.85+86、611+612 (山科~四宮:1997年9月) まずは山科界隈です。この辺りは地下鉄乗り入れ後も地上区間として残りますが、写っている…
この日は朝から臨港で貨物三昧でした。これほど貨物列車ばかりを撮影したのは、おそらく初めてだと思います。しかしながら、こんなに貨物列車が活発に走っているとは思いませんでした。 1.DD602 (末広町~ENEOS川崎精油所:2024年5月) ENEOS川崎精油所か…
神奈川臨海鉄道浮島線の貨物列車のほとんどは、ENEOS川崎製油所の石油輸送です。よって、貨物列車はENEOS川崎製油所の荷設備がある浮島町のヤードへ出入りしますが、そのヤードはENEOS川崎製油所の中にあるため、貨物列車の撮影が可能なのは、ENEOS川崎製油…
この日の朝は千鳥線で貨物列車を撮影してから浮島線に移動しましたが、効率よく移動するため、バスを利用しました。浮島線の撮影場所をどこにするかいろいろと考えましたが、天気もイマイチだったので結局、浮島支線の日本石油輸送川崎メンテナンスセンター…
この日は朝から神奈川臨海鉄道の千鳥町ヤードに出向き、液化酸化エチレンタンク車の入替え作業を撮影させて頂きました。前話では、タンク車の荷役線への搬入の様子をお伝えしましたが、今回はその帰りの機関車の様子です。 1.DD5518 (千鳥町:2024年5月)…
川崎臨港の神奈川臨海鉄道は千鳥線と浮島線が存在し、平日はどちらも貨物列車が走ります。しかし、両線は川崎貨物駅を起点にそれぞれ反対方向に延びているので、貨物列車の撮影はどちらを優先するか悩みます。千鳥線の貨物列車は朝、昼、夕方の3往復ですが、…
3年ぶりの富山地鉄でしたが、ブランクだった3年の間に吊掛車がいなくなりました。しかし、増備された車両がありました。それは1995年に導入された、元西武鉄道5000系初代レッドアロー号でした。富山地鉄はやはり観光鉄道なのか、とうとう元大手私鉄の優等列…
この頃の富山地鉄は、やはり元京阪特急のモハ10031形+モハ10032形が主力でした。しかし、合理化のため、1996年から順次ワンマン化が図られ、この年に完了しました。もう赤いブレザーを着たアテンダントさんたちもいなくなってしまったのか? 1.モハ10041+…
もう富山地鉄には旧型車がいませんでした。しかし、富山地鉄は立山連峰を背景とする雄大な景色に惹かれるものがあります。そして、雷鳥塗装のオリジナル車の撮影ができれば言うことなしです。 1.モハ14772+モハ14771 (釜ヶ淵~下段:1997年11月) お目当…
最近の暗い話題のなかに、富山地鉄の部分廃止表明と言う信じがたいものがありました。北陸新幹線の開業や市内線の富山ライトレールとの一元化、そしてインバウンドによる観光客増加・・・なのに何がどうなってしまったのか?しかし、真相は地方鉄道が抱える…
緑化軌道を軽快に行き交う電車を見ていると、なぜか癒されます。この辺りは、それほど自動車の通行も多くなく、近所の人たちが高価そうな珍しい犬を連れて散歩していたのが印象的でした。 1.今回の撮影地点拡大図(路線図は1998年当時のもの) さて、トラ…
さて、ここからは39系統の路線に沿って、いかにも高級住宅地と思われる閑静な住宅街に踏み込みます。今回は丘の上のRue au Bois電停周辺の様子です。 1.今回の撮影地点拡大図(路線図は1998年当時のもの) 2.7710編成(Rue au Bois~Madoux:1998年7月)…