ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1158話 1993-94年広島:広電の3100形(その3)

3100形の撮影は、やはり宮島線の阿品あたりが妥当でした。この電車も2000形同様の日車トーションバー台車を履いていました。宮島線では、かん高い吊掛音で力走する様子がとても活き活きとしていました。 1.3103編成 (阿品東~地御前:1994年5月) 3103編…

第1157話 1993-94年広島:広電の3100形(その2)

今回は、3100形の走行撮影です。この頃はすでに新系列の軽快電車がかなり増えていたので、3連接の先輩である3000形がそろそろ主力から退き始めていましたが、3100形は全車ともバリバリ働いていました。 1.3102編成 (高須~東高須:1993年2月) 私は2500形…

第1156話 1993-94年広島:広電の3100形

以前より、1993年~1994年頃に活躍していた広電の電車を、形式ごとに話題に上げていますが、今回は3100形です。3100形は元々市内線と宮島線の直通用に製造された2連接の2500形でした。輸送需要の急激な増加で単車だった2000形が2連化された後、2500形は1986…

第1155話 1994年京福(越前):田んぼでブラブラ(その4)

この日も日没ギリギリまで越前本線の撮影を行いました。3日間かけて越前本線と永平寺線の撮影を行ないましたが、撮影枚数が多かったので、5回のシリーズにわけてご覧頂きましたが、今回のシリーズでようやく終わりです。 1.モハ2011 (光明寺~轟:1994年5…

第1154話 1994年京福(越前):田んぼでブラブラ(その3)

前話では、越前本線の保田~発坂間の沿線撮影の様子をお伝えしましたが、その後は永平寺線に出向いてモハ252の撮影を行いました。その時の様子は、すでに第880話でお伝え済みですが、更にその後に、再び越前本線に戻って日没近くまで撮影を続けました。 1.…

第1153話 1994年京福(越前):田んぼでブラブラ(その2)

京福越前本線の撮影は、保田~発坂間の田んぼをブラブラしながら続きます。 お昼に近づき、陽の向きが変わると、背景に残雪の白山連邦が望めます。この年は雪解けが遅く、この数日前の立山砂防では、まだ全線開通していませんでした。その立山砂防の様子は、…

第1152話 1994年京福(越前):田んぼでブラブラ

1994年GWの北陸地方のローカル私鉄早回りは、前半の天気が悪かったため、立山砂防や富山地鉄の撮影が非常に淡白となり、後半の福井あたりで日程に余裕が生じました。このため、いつもはパス同然の京福越前本線で予定以上の足踏みをしてしまい、その結果いっ…

第1151話 1990年西大寺+α:山陽路保存車の落穂拾い(その6)

今回は「山陽路保存車の落穂拾い」の最後である西大寺鉄道です。西大寺鉄道の廃止は1962年であり、当然私は現役時代を知りませんが、1979年に廃止後も放置されていた貴重な単端式気動車を見るため西大寺を訪れた事がありました。その時の様子は、第520話でお…

第1150話 1994年防石:山陽路保存車の落穂拾い(その5)

かつての山陽路にはマイナーなローカル私鉄がパラパラと存在しました。昭和の晩年や平成まで残った路線や軽便鉄道は結構メジャーですが、例えば、玉野市営、三蟠鉄道、鞆鉄道、尾道鉄道、防石鉄道、船木鉄道、長門鉄道などは、そんな鉄道があったことすら忘…

第1149話 1994年呉市交:山陽路保存車の落穂拾い(その4)

今回は超マイナーな呉市電の保存車です。呉市電は1967年に廃止となり、もう半世紀以上も昔の話しです。そもそも呉市電を知る人がどのくらいいるのかわかりませんが、普通の人なら、呉と言えば、「戦艦大和」か「仁義なき戦い」です。ちなみに、私が呉市電を…

第1148話 1993年井笠:山陽路保存車の落穂拾い(その3)

井笠鉄道が廃止されたのは1971年でした。当時私は小学校2年生で西宮に住んでいたので現物に乗ることも見ることもありませんでした。しかし、1979年に廃止後も放置されていた鬮場車庫と、そこに保管されていた車両を見に行く機会があり、辛うじて現物の軽便車…

第1147話 1994年岡山臨港:山陽路保存車の落穂拾い(その2)

岡山臨港鉄道は、1984年に国鉄の貨物合理化の犠牲で廃止されました。私が最後に訪問したのは高校生時代の1980年でした。今回は、廃止10年後の保存車の様子ですが、時間がなかったので気動車の確認はできず、機関車だけの報告です。 1.DC102(保存) (岡山…

第1146話 1995,97年別府:山陽路保存車の落穂拾い

1990年代は、片上鉄道や下津井電鉄が廃止され、山陽路のローカル私鉄は実質消滅しました。その後は撮影の対象がなくなってしまいましたが、数少ない保存車を求めて彷徨は続きました。すでに、一部の保存車についてお伝えしていますが、今回は未公開の画像を…

第1145話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その4)

那珂湊機関区には、恐らく新車が導入されたら廃車になるだろうキハ11形が、ちょうど日なたに出ていましたので、塗装のことは目を瞑って、真面目に撮影しました。 1.キハ112 (那珂湊:1995年5月) キハ11形と言えば、液体式気動車量産化となった記念すべき…

第1144話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その3)

夕方になり光線状態もソフトになってきましたが、風は収まらず田圃の水面は波打って、なかなか鏡の様にはなりません。 1.キハ221+キハ222 (金上~中根:1995年5月) この日の運用列車は、キハ221+キハ223とキハ202+キハ222の2列車に落ち着きました。キハ1…

第1143話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その2)

麦畑の次は田園地帯です。この時期の中根周辺は、田植えが終わって一面が鏡の様な水田なのですが、この日は風が強く、水面が波立っており、鏡ではありません。しかし、この時期に相応しい景観でした。 1.キハ202+キハ223 (金上~中根:1995年5月) この日…

第1142話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧

1995年の春。突然大阪へ転勤することになり、貴重なGWが引っ越しで潰れてしまいました。しかし、荷物を送り出した日に、悪あがきと言いましょうか、茨交で気動車三昧しました。 1.キハ221+キハ2004 (磯崎~平磯:1995年5月) なぜ茨交へ出向いたのか、そ…

第1141話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送(その3)

モーターカーの入換作業を見ていたらNo6がすぐに戻って来ました。戻りは単機回送です。金田まで所要15分程です。貨車の受け渡しを含めても往復1時間もかかりません。モーターカーは慌てて撤退です。 1.No6 (田川事業所:1995年8月) ここで、当時の保有機…

第1140話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送(その2)

金見専用鉄道のこの頃の列車運行は、不定期を含む7往復のスジが設定されており、定期列車は、門司港へ平日3便、荒尾・上熊本へ週2便運行され、土日は運行休止でした。列車は当然出荷が積車で、戻りは空車となりますが。7往復には貨車の送り迎えの単機回送も…

第1139話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送

かつて九州の筑豊一帯には多くの炭鉱が存在し、その大半が石炭を鉄道で輸送していたため、筑豊には網の目の様に鉄道路線が敷設されていました。しかし、石炭産業の斜陽化により、昭和の晩年には炭鉱が次々と閉山され、残ったのが空気を運ぶ国鉄の赤字ローカ…

第1138話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その5)

昼になると南国の日差しは容赦ありません。トップライトとなり、市街地は自動車の通行量も多く、陸橋上からの撮影となりましたが、暑くて干上がりそうでした。 1.910 (播磨屋橋~堀詰:1994年8月) 先程、鏡川橋行だった910は、ごめん行となって戻ってき…

第1137話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その4)

さて、二日目の高知ですが、先ずは朝から再び車庫見学です。二日連続の車庫訪問なので何事かと思われそうですが、前日は午後の訪問だったので陽の向きが異なり、逆光で撮れなかった車両が撮れると思ったからです。車庫訪問の様子は、第737話~第743話をご覧…

第1136話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その3)

知寄町で折り返す電車を撮影し、早々次の撮影場所へ移動ですが、東の後免方面ではなく西の伊野方面へ向かうことにしました。 1.630 (知寄町:1994年8月) ちょうど伊野行の630が折返して来たので、これに乗りました。行き先表示は「伊野」ではなく「いの…

第1135話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その2)

桟橋線の終点の雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。しかし、時間がないので同じ場所に留まることはできません。そろそろ市街地へ移動です。 1.617 (桟橋通5丁目:1994年8月) 桟橋線は200形ばかりと思っていたら、密連付の600形冷房車も現れました…

第1134話 1994年土佐:「よさこい」って何?

土佐電の話題は、1994年8月時点の車両の状況を第737話~第743話でお伝えしましたが、今回はその続きの沿線撮影の様子をお伝えします。しかし、沿線撮影と言っても、土佐電は路線が長く、全線を撮影するには2~3日はかかります。この時はあまり時間がなかっ…

第1133話 1995年蒲原:路線短縮から10年(その3)

村松車庫では、一通りの撮影は終わったのですが、まだ時間がたっぷりありました。しかし、もう撮影するネタがありません。かつては、ここから信越線の加茂まで17.7kmもの越後の里山らしい風景が展開する路線があり、撮影には申し分ありませんでしたが、もう…

第1132話 1995年蒲原:路線短縮から10年(その2)

今泉から直線の県道を延々と3km歩いて、ようやく村松に辿り着きました。その間は列車を撮影する良い場所もありませんでした。 1.モハ31 (村松~今泉:1995年10月) ちょうどやって来た村松行きのモハ31は、村松車庫の手前で撮影です。ところで、モハ31は…

第1131話 1995年蒲原:路線短縮から10年

もういにしえの記憶になってしまった蒲原鉄道ですが、1985年3月末の加茂~村松間の路線短縮から10年が経ったある日、様子を見に行きました。この日は新潟出張中の日曜日でした。いつもの様に新潟駅から磐越西線直通の気動車に乗り五泉で蒲原鉄道に乗り換えで…

第1130話 1994年一畑:念願の五月晴れ(その3)

ようやく念願の五月晴れとなりました。せっかく出雲まで来たので、ここからは、1枚でも多くのデハニを撮ろうという貧乏根性丸出しの連写です。 1.デハニ53+クハ102+デハ22 (美談~大寺:1994年5月) 連写と言っても、いつものハンドドライブ(手動巻上げ…

第1129話 1994年一畑:念願の五月晴れ(その2)

デハニが行ってしまったあとは一気に気合が抜けてしまいました。デハニが戻って来るまでここで待機ですが、その間にも列車はやって来ます。何がやって来るかわからないので一応撮影態勢ですが、おそらくは、どーでも良いのがやって来ると思われたので、コン…