ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1206話 1994年島原:列車代行バスの頃

1994年のGWは、滞在先の広島からローカル線巡りが始まりました。そのルートは九州方面へ向かったのですが、そのあと大阪から北陸を経由して東京に戻る支離滅裂なものでした。今回はその最初に向かった九州の島原鉄道南線の話題です。

 

1.列車代行バス (川原下バス停:1994年4月)

朝一の山陽新幹線で島原を目指しました。最短ルートである大牟田の三池港から島原外港へ。そしてその先はバスです。この小さなバスは、雲仙普賢岳の土石流被災地帯を走る島原鉄道南線の列車代行バスでした。

 

2.キハ5502 (北有馬~竜石:1994年4月)

ここは、島鉄南線の北有馬です。ここまで禁断の路線バスでやって来ました。私はこの年の2月にも島原を訪問しています。その時の様子は、第990話~第993話をご覧ください。それからまだ2か月しか経っていませんが、GWとは言え、島原はもう夏の日差しでした。

 

3.キハ5502 (北有馬~竜石:1994年4月)

まずは、キハ5502です。路線寸断で南線に取り残されたキハ55形はダブルエンジンを持て余して運用されていました。不経済的ではありますが、南線に残った以上は走らざるを得ません。

 

4.キハ2014 (北有馬~竜石:1994年4月)

今度はキハ2014です。この車両は冷房車ですが、まだ冷房は稼働していないのか、側窓が全開です。

 

5.キハ2014 (北有馬~竜石:1994年4月)

この頃、新車の製造が始まっていましたが、どんな新車なのか、まだオープンになっていませんでした。新車はどのようなピッチで導入されるのか不明でしたが、まずは北線のに導入され、事故廃車の穴埋めが優先されると思われ、続いて非冷房のキハ55形が淘汰されるはずです。

 

6.キハ5503 (常光寺前~北有馬:1994年4月)

キハ5503がやって来ました。この日は連休の谷間だったので、学生さんがいっぱい乗っていました。南線は通学に欠かせない存在の様でした。

 

7.キハ2014 (常光寺前~北有馬:1994年4月)

まもなく、子供の日です。沿線には、いたる所に鯉のぼりが泳いでいました。この地域の特徴なのか、どの家の鯉のぼりも立派です。