そして再びバスに乗り、次に向かったのは少し島原方向に戻って、普賢岳の横顔が望める北有馬です。ここは、海辺から少し離れた農村地帯です。
1.キハ2603 (北有馬~竜石:1994年2月)
前方に聳える普賢岳は小噴火でもあったのか、噴煙が上がっていました。この頃の普賢岳ではこの程度の小噴火は日常的だった様です。噴火を気にしていたら、キハ2603がやって来ました。この車両はキハ26形の最終増備車で、冷房車ですが台車はエアサスではなく、一般的なDT22AとTR51Aでした。どうもエアサスはフワフワして、馴染まなかったようです。前照灯がオデコ中央から左右2灯となり外観の区別ができます。
2.キハ2602 (北有馬~竜石:1994年2月)
続いてエアサスのキハ2602です。この時点、南線にはキハ26形が2両在籍していました。この2両は分断区間のロマンスカー的存在でした。
3.キハ2602 (北有馬~竜石:1994年2月)
しかし、キハ26形もキハ20形とはさほど製造年代はかわらず、キハ20形も冷房化が進んだので乗客にしてみれば、どっちも同じ車両だったのかも知れません。むしろ、キハ26形はデッキ付きだったので、一般運用には使い勝手が悪い車両だった様です。
4.キハ2603 (北有馬~竜石:1994年2月)
北線では、キハ20形に主役の座を奪われてしまったキハ26形ですが、南線ではおおいに活躍していました。
5.キハ5503 (常光寺~北有馬:1994年2月)
そして、南線にはキハ55形も2両在籍していました。このキハ55形は国鉄への乗り入れがなくなった以降は、完全にお荷物になっていました。非冷房でデッキ付き、おまけに不経済なダブルエンジンです。
6.キハ2603 (常光寺~北有馬:1994年2月)
ところで、キハ26形もキハ55形も国鉄乗り入れを目的に自社発注された国鉄タイプの車両ですが、なぜか本家国鉄のキハ26形、キハ55形には両運車が存在しませんでした。もっとも、国鉄のキハ26形、キハ55形は準急用に製造された車両で、国鉄キハ28形、キハ58形の先輩的車両だったからです。ところが、島鉄がキハ26形、キハ55形を発注する頃には、すでに国鉄はキハ28形、キハ58形の増備に入っており、なぜ島鉄も富士急行のようにキハ28形、キハ58形を発注しなかったのか?。どうもキハ28形、キハ58形は車体幅が2900㎜もあるので、地方鉄道規格の島鉄にはデカ過ぎた様です。
7.キハ2603 (北有馬~竜石:1994年2月)
よって、島鉄は独自のキハ26形、キハ55形を導入することになったわけですが、キハ55形については、南海電鉄も紀勢本線乗り入れ用に独自のキハ55形タイプを自社発注しており、その中には両運車のキハ5551形が存在しました。しかし、気が付けば国鉄や南海からキハ26形、キハ55形は引退してしまい、残ったのが島鉄でした。