今回の話題は、1994年GWの島原鉄道の第1208話の続きで、撮影二日目です。この日も南線の気動車を追い掛けました。
この頃の島原鉄道は普賢岳の噴火災害によって南線が分断されており、島原外港~深江間が代行バスによる代替輸送が行われていました。被害の大きかった安徳の水無川流域では、まだ地域の復旧工事の最中で、島鉄の復旧まで手が出せない状況の様でした。
1.キハ2603、キハ2602他 (加津佐:1994年5月)
南線には、5両の気動車が閉じ込められていましたが、南島原の機関区に戻れないこの5両は、建屋のない加津佐駅の留置線で検査が行われていました。
2.キハ2603、キハ5502他 (加津佐:1994年5月)
南線に在籍した5両のうち、4両は島鉄オリジナルのキハ26形、キハ55形が各2両で、もう1両は国鉄の中古車であるキハ20形でした。
3.キハ5502、キハ2602他 (加津佐:1994年5月)
キハ26形、キハ55形は北線では、すでに予備車的存在でしたが、南線では在籍車両が5両しかないので、キハ26形、キハ55形の稼働が当然多くなり、撮影チャンスも多かったです。
4.キハ5502 (加津佐:1994年5月)
しかし、ダブルエンジンのキハ55形はパワーがあり過ぎて、南線では非経済的と言うか、もったいない存在でした。
5.キハ2014 (深江~布津新田:1994年5月)
さて、時間が前後しますが、この日は普賢岳を入れて気動車を撮影するため、朝一で布津新田に向かいました。まずは南線唯一のキハ20形です。
6.キハ2014 (深江~布津新田:1994年5月)
この場所では、この年の2月にも撮影をしていましたが、あれから少し陽の向きが変わった様で、ちょっと悩ましい状況でした。