ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

第865話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国(その3)

本山支線の午後の運用は、午後4時半頃から5往復走りました。夏場であれば午後6時台まで撮影は可能なので、3往復撮れました。現在の本山支線は1日3往復まで列車本数が減ってしまい、夕方は午後6時台に1往復しか走らないので、冬場は撮影が厳しいですが、もう…

号外:国葬の日、そうだ蒲田に行こう!!

昨日は安倍元首相の国葬の日でした。 ところで私は、今頃遅い夏休みを頂いており、昨日は九段下の国土地理院へ地形図の閲覧に行く予定でしたが、偶然、国土地理院は国葬が開催される武道館のすぐ近くです。弔問や警護で人が多そうだったので、昨日は予定を変…

第864話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国(その2)

この日は土曜日だったので、昼すぎに運行される列車を撮影して、その後は夕方の運行まで暇つぶしに沿線をロケハンしました。しかし、全線僅か2.3kmの路線なのであっという間に往復してしまい、結局夕方まで雀田駅で暇つぶしでした。 1.クモハ42001 (長門…

第863話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国

1994年7月、滞在先の広島から、たまには琴電や一畑電鉄以外にも行って見ようと思い、山陽路を鈍行で小野田線に向かいました。お目当ては本山支線のクモハ42形です。このころ、鶴見線にはまだクモハ12形が運用されていましたが、小野田線のクモハ42形も張り合…

第862話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その6)

今回は、いよいよクライマックスの旧宇品駅構内です。1994年当時は、見覚えのある建物など、辛うじて昔の面影が残っていました。 1.地図7.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行 地図を見ると、宇品駅の海側に側線が存在していたことがわか…

第861話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その5)

ここから先は、東洋工業(マツダ)の工場に囲まれた一帯を進みます。徐々に臨海工業地帯の雰囲気になってきました。 地図6.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行 地図を見ると、宇品四者協定線の両側はマツダの工場ですが、元々右側の一帯は…

第860話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その4)

宇品四者協定線の廃線探訪は、下大河駅跡を過ぎると後半となります。しかし、下大河付近の線路跡は完全に道路化されており、宇品四者協定線の名残りは何もありません。よって、下大河付近は写真も撮っていませんでした。線路跡の道路は、次の丹那駅跡まで続…

第859話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その3)

今回は段原地区を抜けて、広島大学医学部付近と国道2号線を越えた皆実町付近の様子です。段原一帯は再開発で現在は街並みも変わってしまいましたが、広島大学医学部の辺りは、大学の施設こそ変わりましたが、線路跡は道路となり現在も見極めはつきます。 地…

第858話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その2)

宇品四者協定線は、大洲口駅跡を過ぎると、猿猴川を渡り段原地区に入ります。この猿猴川は広島デルタの一番東側を流れる太田川の支流です。 今回は、猿猴川橋梁跡から南段原までの線路跡の様子です。段原地区は、戦前の街並みを残す一帯でした。広島は原爆の…

第857話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想

宇品線と言えば広電の宇品線を連想しますが、かつては広島駅から宇品港に至る国鉄の宇品線が存在しました。もう昔の話しですが1966年に表向きの旅客営業を廃止して時刻表から消滅しましたが、それ以降も貨物用の側線扱いでありながら、非公式に通勤通学用の…

第856話 1993年鹿島:これには参った!!(その2)

石岡機関区には廃車となった湘南型気動車が集結していました。まだ廃車になったばかりなので、現役車の様ですが、全車両を確認できたのはこれが最後でした。 1.石岡機関区全景 (石岡:1993年4月) それはさておき、営業から戻って来たキハ602の塗装には愕…

第855話 1993年鹿島:これには参った!!

今回は2年振りとなる1993年4月の鹿島鉄道です。この4カ月ほど前にKR500形が更に2両増備されました。いよいよ湘南型気動車の置き換えです。天気がパッとしませんでしたが、石岡に出向きました。 1.キハ714、キハ715他 (石岡:1993年4月) 石岡機関区には道…

第854話 1994年島原:分断された南線は・・・(その5)

この日は、普賢岳が望めるこの場所が気に入ってしまい、午前中はこの場所に居座りました。しかし、時々山の方から雷の様な轟音が聞こえて来ました。全く落ち着けません。轟音に続き小規模な火砕流が確認できました。ここは災害を受けなかった地域なので危な…

第853話 1994年島原:分断された南線は・・・(その4)

そして2日目です。この日は、朝から晴天となり、前回の訪問時に叶わなかった普賢岳を入れて撮影をするため、まず深江から布津方面に歩きながら撮影を行いました。布津新田付近は普賢岳を仰ぐ田園地帯です。2月なので田圃は荒涼としていましたが、それ以上に…

第852話 1994年島原:分断された南線は・・・(その3)

この時の島鉄南線には、キハ2014,キハ2602,2603,キハ5502,5503の5両が確認できました。南線は深江~加津佐間、25km程の路線でしたが、たまに2連が走るとしても、5両あればやり繰りできるほどの輸送需要ということです。この5両達は、路線分断時の残留車…

第851話 1994年島原:分断された南線は・・・(その2)

南島原の近くにある公園に、C12が保存されていました。なんとトップナンバーですが、これは国鉄のC12ではなく、島鉄のC12でした。 1.C1201保存機 (南島原霊丘公園:1994年2月) 島原鉄道は1968年までこのC12が活躍していました。それまではディーゼル機関…

第850話 1994年島原:分断された南線は・・・

1994年2月に2回目の島原鉄道訪問を行いました。1回目の訪問は、この4ヵ月前でしたが、天気が悪く車庫内にいた車両を見ただけでした。その際に気になったのが、雲仙普賢岳の噴火によって寸断されてしまった南線がどうしているのかと言うことでした。今回も出…

第849話 1994年福井:バリアフリー?なにそれ?(その4)

この日は朝から雨が降りそうな天気でしたが、西武生の車庫で撮影しているうちに晴れて来ました。よって、沿線撮影に出発です。5月の福井鉄道沿線は田植えも終わり、大変のどかです。 1.モハ300形2連 (三十八社:1994年5月) さっそく無難なところで、田園…