ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第863話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国

1994年7月、滞在先の広島から、たまには琴電一畑電鉄以外にも行って見ようと思い、山陽路を鈍行で小野田線に向かいました。お目当ては本山支線のクモハ42形です。このころ、鶴見線にはまだクモハ12形が運用されていましたが、小野田線のクモハ42形も張り合う様に健在でした。

 

1.クモハ42001 (雀田:1994年7月)

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 もともと、宇部小野田線は旧国の巣窟でした。思えば私が広島に住んでいた1976年に可部線の17m車が淘汰された以降も、宇部小野田線には茶色の旧国が残りました。しかし、1981年には、1M車の105系が投入され、旧国が一掃されるかと思いましたが、幸い105系には両運車バージョンがなく、辛うじて本山支線用に両運車のクモハ42形が残されました。

 

2.クモハ42001 (浜河内~雀田:1994年7月)

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 私は元々旧国にはあまり興味がなく、可部線の17m車も「灯台下暗し」と言うか、地元にありながら1度も撮影せずに終わってしまいましたが、全国の吊掛車が減って行く中、弘南鉄道鶴見線クモハ12形に触発され、ようやく旧国に目覚めました。しかし、朝と夕方以降しか走らない小野田線のクモハ42形を撮影するには、広島から出向いても撮影効率が悪く、なかなか重い腰が上がらなかったわけですが、小野田線の近隣には、宇部炭鉱のトロッコや、防府には防石鉄道の車両が保存されていることを知り、それらとセットで撮影に向かいました。

 

3.クモハ42001 (長門本山~浜河内:1994年7月)

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 この頃の本山支線は、すでに土曜日以外は日中の運行はありませんでした。土曜日は昼過ぎに、通学用と思われる1往復が運行されており、この日はちょうど土曜日だったので、先ずは昼の列車に間に合うように雀田を目指しました。

 

4.クモハ42001 (雀田~浜河内:1994年7月)

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 山本支線は、雀田~長門本山間の僅か2.3kmの路線です。この沿線ですが、周りは田圃ばかりの農村地帯かと思っていましたが、写真の様に巨大なタンクが見えます。実は宇部港のコンビナートに隣接する地帯でした。

 

5.クモハ42001 (長門本山~浜河内:1994年7月)

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しかし、この路線の生い立ちは宇部炭鉱であり、炭鉱なき後はコンビナートの輸送にも関与していないことから、何のために存在しているのかよくわかりません。

 

6.クモハ42001 (浜河内~長門本山:1994年7月)

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 せっかく土曜日の日中に運行される通学列車もガラガラです。これがJRの路線ではなかったら、すでに消滅していたかも知れません。

 

7.クモハ42001 (長門本山~浜河内:1994年7月)

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 この頃の本山支線は1日11往復が朝夕に運行されていましたが、その時間帯であってもラッシュと言えるほど乗客はおらず、現在も車両こそクモハ123形に代りましたが、辛うじて1日3往復の運行が残っています。果たして鉄道路線として残る意味が分かりません。クモハ123形が走れなくなった時がこの路線の終わりなのか?