ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第809話 1992年JR(鶴見):工場地帯の幻想(その2)

今回は1992年10月の鶴見線モハ12形の様子をお伝えします。この10月には2回鶴見線に出向きました。いずれも午後からなのでクモハ12形の撮影はほんの少しだけでしたが、これが鶴見線クモハ12形を撮影した最後となりました。

 

1.クモハ12053 (浅野:1992年10月)

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日没間近の浅野駅海芝浦方面のホームに停車したクモハ12053です。西陽を浴びてブドウ色の車体がギラギラしていました。

 

2.クモハ12053 (浅野~新芝浦:1992年10月)

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 浅野~海芝浦間の複線区間を行くクモハ12053です。この頃の海芝浦駅は現在の様に公園スペースはなく、そもそも東芝の敷地内でもあるため、駅から出ることが出来ませんでした。よって、休日はこの線を利用する人はほとんどおらず、大川支線共々休日は運休にしても良いくらいの状況でした。

 

3.103系3連 (鶴見:1992年10月)

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 そして翌週です。この日は、珍しく鶴見駅から鶴見線に乗車しました。しかし休日の鶴見線ほど寂しい路線は都内にはないと思います。最近は暇つぶしに休日の鶴見線を楽しむ、変わった人が多い様ですが、この頃はそのような人もおらず、鶴見線のホームは異次元の世界でした。

 

4.クモハ12052 (国道:1992年10月)

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 鶴見から乗った103系ですが、次の国道で早々下車です。この日は国道で撮影です。まずは、国道に停車する大川行のクモハ12052です。停車位置は日陰になるので、停止前の陽の当たる位置で撮影です。

 

5.クモハ12052 (国道:1992年10月)

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 続いて、国道を発車して鶴見川を渡る直前でもう1枚撮影です。撮影チャンスが少ない電車なので、一枚一枚が大変貴重で、失敗は許されません。

そして、このあとは次の電車で浅野へ移動です。

 

6.クモハ12052 (浅野:1992年10月)

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 先ほど国道で撮った大川行のクモハ12052は、大川を折り返して鶴見に戻った後、今度は海芝浦行きになります。この写真は、その海芝浦行きを浅野で撮ったものです。

 

7.クモハ12052 (浅野:1992年10月)

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そして、この写真は海芝浦から折り返して戻って来た鶴見行ですが、これが私にとっては、鶴見線で撮った最後のクモハ12形となりました。

鶴見線クモハ12形は、1996年3月まで運用されました。晩年は老朽化による車両故障が深刻でしたが、クモハ12形の代わりになる車両がありませんでした。よって、大川支線へ103系を入線させるため、武蔵白石駅大川支線ホームを仕方なく撤去し、大川線の列車は武蔵白石駅を通過扱いとして現在に至ります。現在は走る車両も205系VVVF改造車となりましたが、鶴見線の輸送需要は低迷しており、海芝浦支線や大川支線は旅客輸送をしていること自体が不思議な状況です。京浜工業地帯のローカル線もいつまでも安泰とは思えません。