ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第808話 1991年JR(鶴見):工場地帯の幻想

 古い電車を求めて、あちこち出歩いていると、つい近場のことを忘れてしまいがちですが、久々に禁断の路線バスに乗り、鶴見線クモハ12形に会いに行きました。

 

1.クモハ12053 (武蔵白石~大川:1991年12月)

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 この日は鶴見線の夕景を狙って、15時頃から安善に出向き、専用線を浜安善に向けて歩きました。そして、いつもの運河(安善橋)でクモハ12形を待ちます。冬場の夕陽は淡く、幻想的です。

この日は日曜日だったので列車本数は少なく、もう冬至も近い12月下旬なので日没も早く、一発勝負です。この場所は被写体(大川橋)が遠く、200㎜のズームレンズでブレないように、息を殺して人体三脚で構えます。そして、定刻通りクモハ12053はアッという間に行っちゃいました。この日の目的はこの1枚を撮りに来ただけでした。

 

2.103系とED101136 (安善:1991年12月)

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 帰りに安善に立ち寄りました。日曜日の夕方は人気が全くなく、京浜工業地帯とは思えない程静かでした。浅野にはヤードがありますが、この日はヤードも閑散としておりED10がぽつんと佇むだけで、時折鶴見線の電車が横を通過するだけでした。

 

3.103系3連 (安善:1991年12月)

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 この頃の鶴見線は、相変わらず大川支線用にモハ12形が残されていましたが、それ以外の電車は101系から103系に変わっていました。前面窓が低窓の103系3連で、冷房車なのでサービスアップになりましたが、休日はこれに交じってモハ12形が鶴見まで顔を出します。

 

4.ED101136 (安善:1991年12月)

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 このED101136は浜安善方面への牽引や、ヤードの入換機と思われます。かつてこの辺りは、いたるところに沿線工場への引き込み線が存在し、私有機なども見かけることが出来ましたが、この時点では引き込み線はほとんど廃止されていました。

 

5.クモハ12053 (安善:1991年12月)

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 休日のクモハ12形は、鶴見~大川、鶴見~海芝浦を交互に運用されていました。休日は単行でも十分なほど利用客がいませんが、このお陰で鶴見線を走るクモハ12形が撮影できました。

 

6.クモハ12053 (安善~浅野:1991年12月)

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 この写真は、クモハ12053の貫通面です。元の妻面を改造した武骨な顔をしていました。この電車が生き残った理由は、両運車であることよりも、17m車だったからですが、この電車に変わる17m車などもうどこのJRにもありませんでした。