ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

第1329話 1997年豊橋:新装開店のちょっと前(その2)

この頃の豊橋鉄道東田線は、特に目立った車両の出入りはありませんでした。恐らく、渥美線の昇圧の方に注力されていたのだろうと思います。 1.モ3106 (井原~赤岩口:1997年6月) 赤岩口の車庫を訪問した後は、お茶濁し程度に沿線撮影です。しかし、ここ…

第1328話 1997年豊橋:新装開店のちょっと前

今回の豊橋鉄道は、第1239話の続きです。この日は朝から渥美線で撮影を行いましたが、昼食のため撮影を一旦切り上げて、午後から撮影を再開しました。しかし、夏の日差しは強く、渥美線での撮影は光線状態が落ち着く夕方から行うことにして、久々に東田線の…

第1327話 1986年武蔵野鉱山:代表して陳謝(その3)

武蔵野鉱山の車両については、岡本憲之さんの著書である「究極の現役ナローゲージ鉄道」で近年の様子が報告されていますが、今回は、1986年当時、武蔵野鉱山で使用されていた車両についてお伝えします。しかしながら、車両の陣容はほとんど変わっていません…

第1326話 1986年武蔵野鉱山:代表して陳謝(その2)

武蔵野鉱山の採掘は、すべて坑道内で行われていましたが、坑口は2か所ありました。亜炭を運び出すため、通常は610㎜軌間の軌道が敷設されたホッパー線につながる方が使用されていますが、508㎜軌間の軌道が敷設された旧坑口も換気用に残されていました。 1…

第1325話 1986年武蔵野鉱山:代表して陳謝

今から40年ほど前の「レールマガジン誌」には、日本各地のトロッコ軌道を紹介する、「THEトロッコ」という連載がありました。私はこの連載に大変興味を持ち、いつしかトロッコ軌道を訪問するようになりました。 ある日、武蔵野鉱山という関東では唯一の亜炭…

第1324話 1994年一畑:赤電が行ってしまったあと(その3)

日中の北松江線は、赤電が走らないので全く色気がない、つまらない状況となりますが、この日は素晴らしい五月晴れとなり、田植えが終わったばかりの新緑の水田が写真を彩ってくれました。 1.デハ22+クハ102 (布崎~園:1994年5月) 今度は旧型車が来まし…

第1323話 1994年一畑:赤電が行ってしまったあと(その2)

一畑電鉄に導入される大手私鉄の中古カルダン車は、京王5000系であることがわかりましたが、他社に導入された京王5000系を見ると、先頭車同士の2連ばかりなので、おそらく、同じ様な2連が一畑にもやって来ることが想定されました。 1.デハ3 (川跡:1994年…

第1322話 1994年一畑:赤電が行ってしまったあと

今回の一畑電鉄は、第1225話の続きです。前回のブログでは、赤電ことデハニ53の朝の定期運用の様子をお伝えしましたが、今回は赤電が入庫し、朝のラッシュが終わったあとの様子をお伝えします。 1.デハ3 (高浜~川跡:1994年5月) ラッシュが終わると、状…

号外2025.03.16:神奈川臨海(水江):水江線の面影

神奈川臨海鉄道水江線の廃線跡を終点だった水江町から辿ってきましたが、川崎貨物駅構内の西端にあるJR貨物川崎車両所塩浜派出(貨車の検車場)の脇から、現在も旧水江線の線路が残っていました。これは検車場へ出入りする貨車の回送ルートが水江線を使用し…

号外2025.03.15:神奈川臨海(水江):京急と川崎市電の足跡(その2)

神奈川臨海鉄道水江線の廃線跡探訪が転じて、川崎市電の廃線跡に寄り道してしまいましたが、川崎市電のことなど知らない方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。以前、号外2023.01.01で川崎市電の保存車の話題をお伝えしましたので、あわせてご覧頂けれ…

号外2025.03.13:神奈川臨海(水江):京急と川崎市電の足跡

神奈川臨海鉄道水江線の廃線跡探訪を終点だった水江町から北上して来ましたが、水江町を抜けて今回から塩浜町方面に入ります。すでに前話(号外2025.03.11)でも取り上げましたが、この塩浜付近の臨港線の変遷は凄まじく、なかなか理解できません。 地図1.…

号外2025.03.11:神奈川臨海(水江):激変の兆し(その2)

神奈川臨海鉄道水江線の廃線跡探訪の続きです。前話では話が脱線し過ぎてしまいましたが、改めて、この界隈の臨港線の変遷はとても興味深いです。 よって、臨港線の過去を紐解くため、今回も九段下の国土地理院閲覧室に出向いて地形図の掘り出しを行いました…

号外2025.03.09:神奈川臨海(水江):激変の兆し

今回の号外は神奈川臨海鉄道の水江線探訪です。しかし、水江線はすでに2017年に廃止されており、本来であれば現役である千鳥線の探訪を先にお伝えすべきところですが、実際に歩いてみて、水江線沿線が今まさに激変しそうな状況であることを目の当たりにし、…

第1321話 1997年福井:吊掛車は期待せずに待つ(その5)

モハ160形の戻りを待ち続けているうちに曇ってきましたが、なんとか日差しは回復してきました。 1.クハ81+モハ81 (三十八社~鳥羽中:1997年5月) さて、この日の撮影目的は近々予定されている吊掛車置き換えのためでしたが、導入される車両はどうやら名…

第1320話 1997年福井:吊掛車は期待せずに待つ(その4)

この日は意表を突いてモハ160形が営業投入されていました。ちょうど三十八社近辺でまともな撮影ができましたが、折り返しで戻って来るので、念のため同じ場所で撮影することにしました。しかし、まだ時間があるので、再びカルダン車の撮影を続けました。 1…

第1319話 1997年福井:吊掛車は期待せずに待つ(その3)

このままカルダン車ばかり撮影して帰るつもりでしたが、まさかのモハ160形の登場です。いったい何事なのか驚きました。しかし、こういう事がなければ、ここまで来た甲斐がありません。 1.モハ161-2+モハ161-1 (三十八社~浅水:1997年5月) モハ160形は営…

第1318話 1997年福井:吊掛車は期待せずに待つ(その2)

せっかく福井まで来ましたが、カルダン車や強烈な広告電車の攻撃に遭い、とにかく参りました。しかしながら、天気はものすごく良く、写真だけは綺麗に撮れました。 1.モハ202-2+モハ202-1 (浅水~三十八社:1997年5月) 唯一まともなモハ200形が来ました…

第1317話 1997年福井:吊掛車は期待せずに待つ

1997年頃、私は大阪に住んでいたので北陸方面に出向く機会が増えました。しかし、どこの私鉄も大手私鉄の中古車を導入して、着々と車両の入替えを進めており、趣味的に窮地に追い込まれていました。 1.モハ300形2連 (福井駅前:1997年5月) そんなある日…