ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

第900話 番外編:中2の頃、広島にて。

第900話まで来ました。この調子だと第1000話を越えてしまいそうですが、これだけローカル線車両の撮り歩きに没頭していた自分に呆れております。 さて、恒例の100回節目の番外編ですが、今回は私が最も興味を持たなかった国鉄車両の話題です。本来であれば、…

第899話 1992年近鉄(北勢):モニ最後の日(その4)

今回は、いよいよモニの最後の撮影です。そろそろ、220系「さよなら運転」の2往復目の列車が来る頃です。夕方となり、期待通り光線状態も落ち着いて来ました。 1.モ276+サ146+ク141 (麻生田~上笠田:1992年9月) 先ほどの撮影時は、この辺りに大勢の同好…

第898話 1992年近鉄(北勢):モニ最後の日(その3)

阿下喜から戻ってくる220系は、上笠田付近の田園地帯で撮ることにしました。ここも以前に何度か撮影をした場所ですが、この日は大勢の同行者達が思い思いに撮影しているので、お互いを撮らないように神経を使いました。 1.モ224+ク223+モ222+ク221 (上笠…

第897話 1992年近鉄(北勢):モニ最後の日(その2)

この日の天気は、晴れていましたが秋雨前線の影響か、スッキリしない天気でした。しかも、220系の「さよなら運転」は昼近くなので陽の向きがトップライトとなり、撮影条件は宜しくありませんでした。 1.モ224+ク223+モ222+ク221 (穴太~六把野:1992年9月…

第896話 1992年近鉄(北勢):モニ最後の日

北勢線の220系が「さよなら運転」を行うとの情報が入りました。私は、あまりイベントが好きではないので、パスするつもりでしたが、この機会を逃すと、生きた軽便電車を一生見ることが出来なくなってしまうので、奮起して桑名に向かいました。 1.モ224、ク…

第895話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その5)

結局この日もラッシュの後半は西前田に来てしまいました。この日は土曜日なので、列車もすいており3連など走る必要もありませんが、この頃の長尾線はどういうわけか土、日も3連がバンバン走りました。 1.315+100 (高田~西前田:1994年7月) やって来たの…

第894話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その4)

この頃の長尾線は、朝の3連が増えた様な気がしました。しかし、思ったように凸凹編成が現れませんでした。その理由は、志度線の分断にありました。 1.130+325 (白山~平木:1994年7月) 以前にも、志度線分断後の配置車両の内訳をお伝えしていますが、凸…

第893話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その3)

ここからは2週間後の高松です。なぜそんなにも高松に出向いたのか、自分でもよくわかりませんが、恐らく3連の運用が増えたので、レアな車両も撮影のチャンスが増えたと思ったのかも知れません。 1.300+35+36 (白山~平木:1994年7月) 相変わらず長尾線の…

第892話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その2)

琴電は瓦町駅の駅ビル化で長尾線が高松築港へ直通し、志度線は瓦町折返しとなりましたが、このことを今回の撮影時に初めて知りました。私が訪問したのは、この運用変更が実施された2週間後でしたが、当時はまだネット社会ではなく、こんな情報はすぐには入手…

第891話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向

今回は第807話と同じ日の朝です。日曜日だったので長尾線は朝のラッシュはないだろうと思い、景色の良い志度線の房前に出向きました。 1.3000形+230+24 (房前~原:1994年7月) ここは、瀬戸内海に面した小さな漁港があり、大変風光明媚なところです。さ…

第890話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その5)

重根付近は、北山付近に比べて稲の生育が少し早く、そろそろ刈取りが近いような感じでした。今回の撮影はベストタイミングだった様です。撮影がもう1週間後だったら稲の刈取りが終っていたかも知れません。 1.モハ25 (幡川~重根:1993年9月) この列車は…

第889話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その4)

この日は早朝から、飲まず食わずで撮影を続けましたが、ラッシュ後の運用列車も一通り撮影できたので、昼食を兼ねて一旦、日方に戻ることにしました。 1.デ13 (野上中~北山:1993年9月) 午前の部の最後の撮影は、デ11の真横からのカットです。相変わら…

第888話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その3)

この日は、ラッシュ後の運用にモハ25が入りました。昼過ぎまでは2列車運用なので、2列車ともデ10形となる可能性が高く、もし2列車ともデ10形だったら帰ろうかと思っていましたが、とりあえず1本はモハ25だったので、これを追い掛けることにしました。 1.モ…

第887話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その2)

野上谷を流れる貴志川は、かなり蛇行しているので、対岸に渡らなくても対岸から撮影した様な写真が撮れました。 1.モハ26+モハ24 (動木~紀伊野上:1993年9月) ちなみに、これらの写真は貴志川と一緒に蛇行する線路脇から望遠で撮ったものです。ズームレ…

第886話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年

この頃、毎月の様に野上電鉄を訪問していました。この日も出張先の広島から金曜日の晩に海南に移動し、土曜日の朝から撮影です。毎度のことながら、常宿のビジネス旅館に泊まり、早朝の出庫バスで動木へ向かいました。 1.モハ27+モハ32 (動木~紀伊野上:…

第885話 1994年広島:広電の京都市電(その3)

この頃、広電には1900形が15両も在籍していたので、市内線のどこでも撮影できました。それが災いして、意外と写真を撮っていません。 1.1908 (皆実町六丁目~御幸橋:1994年2月) 1900形は京都市電独特のどっしりとした、いかにも路面電車といった風格が…

第884話 1993年広島:広電の京都市電(その2)

1993年当時、広電の京都市電は15両全車が健在でした。 この頃、広電以外で活躍していた元京都市電は、阪堺電軌道モ251形3両(元京都市電1800形)、伊予鉄モハ2000形5両(元京都市電2000形)だけでした。 1.1909 (原爆ドーム前~本川町:1993年8月) 阪堺…