ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第895話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その5)

結局この日もラッシュの後半は西前田に来てしまいました。この日は土曜日なので、列車もすいており3連など走る必要もありませんが、この頃の長尾線はどういうわけか土、日も3連がバンバン走りました。

 

1.315+100 (高田~西前田:1994年7月)

 やって来たのは、琴電オリジナル車のコンビでした。2連なので真横から撮ってみました。この2両は製造メーカーは異なりますが、琴電の開業時に導入された同一仕様の車両です。それでも当初のスタイルはそれぞれメーカーの個性が見て取れましたが、長年にわたり様々な改造を受けてきた結果、似たような車両になってしまった感じです。

 

2.120+750+870 (高田~西前田:1994年7月)

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3連が来ました。この凸凹編成は大変魅力的です。3連は増えましたが、このような雑多な車両の編成は貴重でした。

 

3.62+25+26 (高田~西前田:1994年7月)

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62と30形の編成も面白い凸凹編成です。62は小柄なすっきりした車両ですが、これは琴電で車体更新したもので、元はとても古い木造電車です。この3両はいずれも元京急電車だったことが興味をそそります。

 

4.300+35+36 (高田~西前田:1994年7月)

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朝の3連運用が増えたので、つまらない30形も何かオマケを連結していました。次々と列車が来ますが、どの列車も目が離せません。この編成は30形と後部の3000形との窓の大きさの違いと、それによる腰高の違いが目立ちます。

 

5.315+100 (西前田~水田:1994年7月)

この2連も車両に余裕があれば、3連になっていたのかも知れません。ところで、3000形の中で315だけはドア配置が変則的でした。これは運転台の拡張によって、運転席の次位のドアと戸袋の位置を入れ替えたためです。結構大掛かりな改造ですが、この改造は他車には展開されませんでした。しかしながら、5両いた3000形ですが、このように1両だけ変なヤツがいると追っ掛けの楽しみが倍増します。

 

6.300+35+36 (西前田~水田:1994年7月)

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さて、今回の琴電訪問は以上です。この頃は広島に長期滞在していた関係で頻繁に琴電参りを行っていましたが、この3週間後にも凝りもせず炎天下の高松に向かいました。その様子は改めてお伝えします。