ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

第48話 1985年有田 和歌山の小私鉄(その3)

大手不動産会社に助けられた紀州鉄道とは対照的に、独自の道を歩んでいたのが紀州鉄道のお隣の有田鉄道でした。 有田鉄道も紀州鉄道ほどではありませんが全線5.8kmの零細鉄道でした。開業は紀勢本線より古く1915年で、当初は紀勢本線との接続駅となった藤並…

第47話 1985年紀州 和歌山の小私鉄(その2)

紀州鉄道を見るために、せっかく御坊まで来ましたが、あっと言う間に全線完乗。しかも来る列車はすべてキハ604。1時間も居れば飽きてしまい、間が持ちません。 1.御坊駅に入線するキハ604 (御坊:1985年12月) この日は終日キハ604が運用に入っていました…

第46話 1985年紀州 和歌山の小私鉄

和歌山県には紀勢本線から分岐する小さな私鉄がいくつか存在しました。 北から、和歌山鉄道(現和歌山電鉄)、野上電鉄、有田鉄道、紀州鉄道などです。このうち現存するのは、和歌山電鉄と紀州鉄道ですが、1985年の年末に紀州、有田、野上をまとめて訪問しま…

第45話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その5)

1992年当時、一畑電鉄には冷房車もカルダン車もいませんでした。 さすがに、一畑電鉄ほどの規模でカルダン車も冷房車もいないとは恐れ入りました。しかも手動ドアの車両が走っていたとはカルチャーショックです。しかし、そんな浮世離れした状況がいつまでも…

第44話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その4)

今回は1992年当時に在籍した、一畑の古い車両について補足します。 当時在籍していたオリジナル車両は、デハ1形2両、デハ20形3両、デハニ50形2両でした。このうち、デハ20形はデハ1形またはデハニ50形からの改造で生まれた車両です。これらの車両は今市線電化…

第43話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その3)

一畑電鉄は山陰地方の大手ですが、その名称の由来が気になっていました。 「一畑口」という駅がありますがこの駅は中間駅なのにスイッチバック構造となっています。実はこの駅から先にかつては路線が延びており、次の「一畑」という駅が終端でした。一畑電鉄…

第42話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その2)

一畑電鉄の初詣輸送は、列車の運行系統まで変えてしまう程の大掛かりな臨時ダイヤでした。 普段は電鉄出雲市~松江温泉間がメインラインで、途中の川跡~出雲大社前間が支線の大社線で大社線内を両運ワンマンカーのデハ1形がピストン運転していました。これ…

第41話 1992年一畑 赤いデハニを求めて

前回の岐阜から島根に飛びます。 一畑電鉄を初めて訪問したのは1992年の元旦でした。まあ、初めてというか、それ以前も何回か通り過ぎてはいましたが、まともに車両を拝見したのはこれが初めてです。 一畑は東京から遠く、なかなか近寄り難い場所でした。お…

第40話 1985年名鉄揖斐・谷汲 大手私鉄の隠れ蓑(その2)

1985年当時、名鉄の路線で最もローカル私鉄ぽかったのは谷汲線だったと思います。 谷汲線は元々谷汲鉄道として開業した路線ですが、沿線人口は希薄で、終点の谷汲山華厳寺の参拝客をあてにした以外は特別何があるわけでもなく、名鉄に合併していなければとっ…

第39話 1985年名鉄揖斐・谷汲 大手私鉄の隠れ蓑

1980年代は大手私鉄にもまだ吊り掛け車が結構残っていました。私がかつて勤務していた東京の蒲田にも東急目蒲線や池上線など、とても東急の電車とは思えないような老朽車両が、1990年頃までいっぱい居ました。しかしどんなに古くても、所詮大手の車両なので…

第38話 1985年鹿島 湘南型気動車天国(その2)

この日、午前中の茨城交通に続き鹿島鉄道を訪問しました。茨城交通のCI化には困惑しましたが、鹿島鉄道は“古き佳き昭和”を貫いていました。 鹿島鉄道は霞ヶ浦沿いを走るので風光明媚な路線でした。かつては様々な流線形気動車が活躍しており、諸先輩方が貴…