ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第43話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その3)

一畑電鉄は山陰地方の大手ですが、その名称の由来が気になっていました。

「一畑口」という駅がありますがこの駅は中間駅なのにスイッチバック構造となっています。実はこの駅から先にかつては路線が延びており、次の「一畑」という駅が終端でした。一畑電鉄は元々、出雲今市(現:電鉄出雲市)から一畑までの一畑軽便鉄道として開業しました。一畑は一畑薬師の最寄り駅で、要するに一畑薬師への参拝鉄道でした。よって、一畑の社名は一畑薬師に由来するものと思われますが、現在でも一畑という名称は、地元でかなりのネームバリューです。

軽便鉄道はその後、電化されて一畑電鉄となり発展的解消を遂げたわけですが、肝心の一畑口~一畑間は戦時中に不要不急路線として休止撤去されてしまい現在に至ります。現在は一畑薬師よりも出雲大社の参拝輸送の方がメインとなってしまいましたが今でも一畑口~一畑薬師間のバスとしっかり連絡輸送を行っています。

 

1.旧型車3連 クハ101+デハ23+デハニ53  (一畑口~伊野灘:1992年1月)

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 一畑口~松江温泉間は松江線と称し、一畑電鉄創立後の1928年に最初から電化路線として開業しました。

しかし、既設の今市線との直通運転は考えていなかったのか、接続駅となった一畑口は一畑へ向けて合流する配線となり、両線を直通する列車はスイッチバックが必要となりました。

 

2.旧型車3連 デハニ53+デハ23+クハ101 (一畑口:1992年1月)

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この写真は一畑口の様子です。線路の先に道路が見えますが、この道路が一畑まで延びていたかつての線路跡です。

一畑口は今市線と松江線の直通を考えていなかった時代の名残で現在までスイッチバックを必要とする構内配線となっており、乗務員さんは毎回この駅で前後車両の移動を余儀なくされています。

 

3.旧型車3連 デハニ53+デハ22+クハ102 (布崎~園:1992年1月)

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 出雲今市(現:電鉄出雲市)~一畑間は軽便鉄道として蒸気動力で開業しましたが、1927年に電化され一畑電鉄今市線となりました。デハ1形はその頃に製造された電車です。

 

4.旧型車3連 クハ102+デハ22+デハニ53 (布崎~園:1992年1月)

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この旧型車3両編成は、全車手動ドアです。車掌さんはさぞ大変だったのではないでしょうか? 

 

5.元西武車の3連 デハ62+デハ83+クハ183 (遥堪~高浜:1992年1月)

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大社線は1930年の開業で、一畑電鉄の路線では一番遅い開業です。出雲大社には国鉄大社線も走っていましたが、そちらはJRとなって廃止されました。普段は鉄道を利用して出雲大社を参拝する人は少なく、一畑電鉄大社線もワンマンカー1両で運用していた状況ですが、初詣のために残っているような感じです。 

 

6.元西武車の3連 デハ62+デハ83+クハ183 (遥堪~高浜:1992年1月)

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普段は出る幕がないデハ60形も、正月3ヶ日だけはフル稼働です。先頭のデハ62はやたらと綺麗ですが、普段あまり走らないから汚れないのでしょうか?