ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第41話 1992年一畑 赤いデハニを求めて

前回の岐阜から島根に飛びます。

一畑電鉄を初めて訪問したのは1992年の元旦でした。まあ、初めてというか、それ以前も何回か通り過ぎてはいましたが、まともに車両を拝見したのはこれが初めてです。

一畑は東京から遠く、なかなか近寄り難い場所でした。おまけに、1980年代に西武の中古車が大挙して導入されたので、どうでも良い感じでした。しかし、オリジナルのデハニが健在だったので、これだけは見ておこうと、琴電のついでに出雲市まで足を延ばしました。

 

1.デハニ53を先頭に旧型車3連 (一畑口:1992年1月)

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一畑の撮影に狙いを定めたのが正月三ヶ日です。なぜならこの3日間で1年分の人を運ぶほど全列車フル動員となるからです。それはズバリ出雲大社のおかげです。

普段はラッシュ時限定の赤いデハニも旧型車3連で終日走りました。4連の特急や急行も走りました。

2.一畑のロマンスカー70形4連 (一畑口:1992年1月)

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一畑電鉄はいつのまにか元西武の電車だらけになっていましたが、この70形(注1)は元西武クモハ300形を1964年に4両譲受したもので、入線時に西武所沢にてMc+Tcの2両固定編成化及びクロスシート化を行い、70形2編成としたものです。しかし、その生い立ちは武蔵野鉄道モハ5570形を前身とする、1941年製の結構古い車両です。

70形は入線当初、座席指定制の特急に充当されましたが、定期の特急運用がなくなり一般の運用に混ぜられました。しかし、多客期には4連で臨時の特急や急行運用に投入され、正月三ヶ日は大活躍でした。

(注1)70形(デハ70+クハ170)の車歴

・ 一畑デハ71←西武クモハ301←西武モハ301←武蔵野モハ5572:1941年木南車輌製

・一畑クハ171←西武クモハ302←西武モハ302←武蔵野モハ5571:1941年木南車輌製

・一畑デハ72←西武クモハ303←西武モハ303←武蔵野モハ5573:1941年木南車輌製

・一畑クハ172←西武クモハ304←西武モハ304←武蔵野モハ5574:1941年木南車輌製

 

3.大社線直通急行の80形 (遥堪~高浜:1992年1月)

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一畑電鉄には元西武451系も1981年~1982年にかけて6両譲渡され、80形(注2)としてMc+Tcの3編成が入線しました。

西武の451系といえば当時各地のローカル私鉄にばら撒かれた車両ですが見た目は国電モドキの食パン切妻で面白味に欠ける車両です。一畑ではこの車両が主力となっていたことがネックとなり足が遠のいてしまいました。

(注2)80形(デハ80+クハ181)の車歴

・一畑デハ81←西武クモハ456←西武クモハ484←西武クハ1456:1963年西武所沢製

・一畑クハ181←西武クハ1485←西武クモハ483←西武クハ1455:1962年西武所沢製

・一畑デハ82←西武クモハ452:1959年西武所沢製

・一畑クハ182←西武クハ1487←西武クハ1451:1962年西武所沢製

・一畑デハ83←西武クモハ454:1959年西武所沢製

・一畑クハ183←西武クハ1489←西武クハ1453:1962年西武所沢製

 

4.増結車60形を含む3連 (遥堪~高浜:1992年1月)

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先頭のデハ61は増結用の両運車ですが、普段はあまり走らない予備車的存在です。しかし、この車両も初詣輸送に駆り出されて普段のうっ憤をはらすかの様に走りまくっていました。

 

5.初詣輸送のハイライト旧型車3連 クハ102+デハ22+デハニ53 (遥堪~高浜:1992年1月)

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初詣輸送は使用可能な車両は総動員となり、普段はラッシュ時にしか走らない旧型車の3連も終日走りました。この旧型車3連を撮るためにわざわざ遠出したようなものです。

 

6.赤電を先頭に旧型車3連 デハニ53+デハ22+クハ102 (遥堪~高浜:1992年1月)

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赤電デハニ50形及びデハ20形は一畑電鉄の生え抜き車両でした。製造は全て昭和初期の日本車輌製で、上田交通モハ5250形、高松琴平3000形等と相通じる容姿です。

当初一畑では車両の色を手動ドア車は朱色、自動ドア車はクリーム色としていたようですが、1992年時点で朱色はデハニ50形2両のみとなっていました。しかし、クリーム色のデハ20形3両とクハ100形3両も手動ドア車でした。いくらローカル線といっても当時手動ドアの車両が走っていたのは一畑くらいです。一畑はローカル線といっても結構大きい鉄道で、運行はCTC化されており、列車は70km/hほどで走るので、手動ドア車が残存していたことに驚きます。