「流鉄」は、かつての社名を「総武流山電鉄」と称していました。
以前は実態に合わない大きな名前でしたが、通称が正式名称の「流鉄」となって、ようやくピッタリフィットしました。
さて、1990年当時の流鉄ですが、車両は正直面白くありませんでした。毎度のことながら訪問が遅かったことを悔やみました。私が常磐線沿線を彷徨していた1980年代中頃には、まだ武蔵野鉄道の生き残りが流山にいました。これを無視していたことが、かつての広電宮島線高床車の、「灯台下暗し」とダブります。
1.クモハ1201+サハ61+クモハ1202 (流山:1990年8月)
車庫には、3連の1200系(注1)で唯一かつてのオリジナル色に塗られた 「流星」号が検査入場していました。「銀河」号の「ジャイアントロボ」があまりに強烈だったためか、この塗装を見ているとなんだかホットします。
(注1)3連1200系(クモハ1200形、サハ60形)の車歴
・流山クモハ1201,1202,1208,1209←西武クモハ515,516,511,512←西武モハ515,516,511,512:1959年西武所沢製)
・流山クモハ1203,1205←西武クモハ509,510←西武モハ509,510:1958年西武所沢製)
・流山クモハ1206,1207←西武クモハ523,524←西武モハ523,524:1957年西武所沢製)
・流山サハ62←西武サハ1509:1955年西武所沢製)
・流山サハ61,63,65←西武サハ1527,1524,1511:1955年西武所沢製)
※3連1200系の編成
・流星:クモハ1201+サハ61+クモハ1202 ・流馬:クモハ1203+サハ62+クモハ1205
・銀河:クモハ1206+サハ63+クモハ1207 ・なの花:クモハ1208+サハ65+クモハ1209
2.流山検車区 クモハ1201、モハ1101他 (流山:1990年8月)
庫の中には、唯一元京急ボディーで両運車のモハ1101(注2)がいました。残念ながら外には出て来ませんでした。このモハ1101は、京急クハ480形を両運電装化して新車名義で入線しました。
(注2)モハ1101の車歴
・流山モハ1101:1968年西武所沢製(←京急クハ480形車体流用)
3.クハ81+クモハ1210 (平和台~鰭ヶ崎:1990年8月)
流鉄沿線は都心への通勤圏内となり、ラッシュ時は3連で運行されていましたが、日中は2連の1200系、1300系(注3)の運用が主体でした。この頃は輸送需要も結構あった様ですが、やがて、TXが開業すると利用客の流れが激変し、輸送需要が大幅に減少し、ラッシュ時でも3連がいらなくなり、やがて2連が増えて行きます。
4.クモハ1301+クハ71 (鰭ヶ崎~小金城趾:1990年8月)
(注3)2連の1200系、1300系の車歴
・流山クモハ1210←西武クモハ561←西武モハ561:1962年西武所沢製
・流山クモハ1301←西武クモハ558←西武モハ558:1962年西武所沢製
・流山クハ81←西武クハ1658←西武クハ1602:1963年西武所沢製
・流山クハ71←西武クハ1659←西武クハ1603:1963年西武所沢製
※2連1200系、1300系の編成
・1200系:なの花:クハ81+クモハ1210
・1300系:あかぎ:クモハ1301+クハ71
5.クハ81+クモハ1210 (鰭ヶ崎~小金城趾:1990年8月)
2連は、元西武551系が種車ですが、なの花編成が1200系、あかぎ編成が1300系となり、しかもこの2編成はM,Tが逆向きです。おまけに、あかぎ編成は側面の塗装が変な塗分けとなりました。
さて、1990年になってやっと流鉄の実態が把握できましたが、1994年から元西武の冷房付きカルダン車である701系、801系が導入されます。ようやく車両の体質改善が図られ、都会の電車に仲間入りします。