ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第166話 1984年上信 田舎の看板電車(その2)

上信電鉄は当時なにかと新車が目立っていましたが、あの奇抜な車両を導入する前の車両も、地味ではありましたが地方鉄道としては立派な自社発注車両で、新車導入後も主力車でした。

 

1.クハ300形非貫通型1次車と貫通型2次車 (下仁田1984年4月)

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 当時主力だった在来車は、200系(デハ200形、クハ300形)でした。

200系は旧型車の置き換え用にMT2連またはMMT3連用に製造された20m片運のカルダン車で、1次車と2次車で多少形態に相違が見られます。

 

2.1次車のクハ300形+デハ200形 (下仁田1984年4月)

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 200系1次車(注1)は、クハ300形が非貫通で製造されました。ラッシュ時の増結用にデハ200形が1両多く製造されましたが、通常はMT2連で使用されました。

(注1)200系1次車の車歴

・上信デハ200形(デハ201~203):1964年東洋電機製

・上信クハ300形(クハ301,302):1964年東洋電機製

 

3.2次車のクハ300形+デハ200形 (下仁田1984年4月)

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  200系2次車(注2)は、クハ300形も貫通で製造され、運転台側前面窓が高運転台対応で片目ウインクとなりました。また、2次車から側窓が2段式になりました。
(注2)200系2次車の車歴
・上信デハ200形(デハ204,205):1969年西武所沢工場製
・上信クハ300形(クハ303,304):1969年西武所沢工場製

 

4.デハ23+デハ22 (高崎:1984年4月)

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 デハ20形デハ22,23(注3)は電化時に導入されたデハ1形を1960年に鋼体化した車両で、当初デハ20形は新車名義のデハ20を含む4両が在籍しましたが、1984年時点でこの2両が残存していました。この2両はデハ22が西武所沢工場、デハ23が東洋工機で鋼体化改造を受け、形態的には同様ですが、デハ22は両運車でデハ22は片運車です。また、側構体の裾がデハ22は直線ですがデハ23は切込みありです。なお、1984年当時はほとんど予備車的存在でした。

(注3)デハ20形の車歴

・上信デハ22,23←上信デハ4,5:1924年日本車輌

 

5.デハニ31(高崎:1984年4月)

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 デハニ31(注4)も、自社発注の木造車を1959年に東洋工機で鋼体化した車両です。当初は2両在籍しましたが、1984年時点でこの1両が残存していました。

(注4)デハニ31の車歴
・上信デハニ31←上信デハニ2:1925年5汽車会社(東京)製

 

6.100系クモハ100形+クハ100形(高崎:1984年4月)

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 自社発注の電車ばかりの上信電鉄でしたが、旧型車の置き換え用に元西武クモハ451系を1980年~1981年に6両譲受して、100系(注5)2連3編成としました。やはり新車はお金がかかるので、この頃から中古車の導入が始まりました。

(注5)100系(クモハ100形+クハ100形)の車歴

・上信クモハ101←西武クモハ455Ⅱ ←西武クモハ481←西武クモハ487:1961年西武所沢工場

・上信クモハ102←西武クモハ464←西武モハ464:1959年西武所沢工場

・上信クモハ103←西武クモハ463 ←西武モハ463:1959年西武所沢工場

・上信クハ101←西武クモハ468 ←西武モハ468:1960年西武所沢工場

・上信クハ102←西武クモハ467 ←西武モハ467:1960年西武所沢工場

・上信クハ103←西武クモハ466 ←西武モハ466:1960年西武所沢工場

 

上信電鉄は、この後6000系100系の正面衝突事故に遭遇しますが何とか乗り切りました。しかし輸送需要は徐々に減少し、新車の導入もここまででした。その後は長い氷河期に突入し、老朽車はしばらく西武の中古電車を譲受しながらやり繰りすることになります。