ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第167話 1985年下津井 瀬戸大橋建設の頃

 1985年の年末は、久しぶりに山陽路のローカル私鉄訪問を行いました。

以前は非電化私鉄の早回りに徹していましたが、別府鉄道と岡山臨港鉄道が廃止されて訪問先が減ってしまったので、この時は下津井電鉄、同和鉱業片上鉄道、水島臨海鉄道の3路線に腰を据えて撮影しました。まずは、5年ぶりの訪問となった下津井電鉄です。

  5年前の1980年の様子は第65話をご覧下さい。

 

1.児島の市街地を行くモハ1001 (赤崎~阿津:1985年12月)

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下津井には過去2回訪問をしていますが、いずれも早回りだったので、イマイチ沿線の様子を把握できておらず、まともな走行写真も数枚しかありません。よって、この時は児島から下津井まで、わずか6.3km足らずの路線を全線歩きながら撮影することにしました。

当時、児島駅国鉄とは接続しない離島の様な存在でした。線路1本が突っ込んだ単なる折返しの無人駅でした。児島駅を出ると路線は市街地を抜けるまで、2kmほど住宅の軒先をかすめる様に敷かれており、この区間の撮影はご覧の様に少々厳しいです。

 

2.児島競艇を望む琴海駅のモハ1001 (琴海:1985年12月)

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 路線は、阿津を過ぎて市街地を抜けると一気に勾配を登り、琴海付近から瀬戸内海を一望できる高台に出ます。琴海駅の眼下は児島競艇場があり、競艇開催日には観客輸送で3連が運行されました。写真は琴海に到着するモハ1001です。この頃琴海駅の一帯は瀬戸大橋線の建設現場となっていたので、この写真の手前にも工事資材の一部が写っていますが、非常に撮影し辛い状況でした。

 

3.モハ1001 (鷲羽山~琴海:1985年12月)

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 琴海を過ぎると路線は、鷲羽山まで山腹の崖っぷちを等高線に沿って敷かれていました。この区間は写真では瀬戸大橋線の建設工事の影響を受けていない様に見えますが、実はこの写真の左側は完全に工事現場と化しており、写真には写っていませんが山腹に巨大なコンクリートの擁壁が出来ていました。

 

4.モハ1001 (鷲羽山~琴海:1985年12月)

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この写真は、3番目の写真と同じ場所を少し離れた瀬戸大橋の工事現場から俯瞰撮影したものです。この写真の左側はモロに工事現場で、瀬戸大橋線の巨大なコンクリートの擁壁がそびえていました。左手前の神社はこの工事で移設されたのか、頑丈なコンクリートの土台上に建っています。

 

 5.モハ1001 (東下津井~鷲羽山:1985年12月)

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 鷲羽山付近は瀬戸大橋線の工事の関係でまともに撮影できる場所がありませんでした。この写真は、鷲羽山を過ぎて東下津井へ下る途中で撮影したものですが、この辺りから下津井までは工事の影響はほとんどありませんでした。

 

6.モハ1001 (下津井~東下津井:1985年12月)

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 東下津井を過ぎると路線は下り坂となり、下津井まで一気に下って行きます。この手前は有名な撮影地だった大ループです。5年前炎天下の中で撮影をした場所でした。

 

7.建設中の瀬戸大橋とモハ1001 (鷲羽山~東下津井:1985年12月)

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 5年前の訪問時には、まだ瀬戸大橋の建設が始まっておらず、下津井はのどかな漁港でしたが、この時は瀬戸大橋の建設はまさに活況期を迎えており、下津井電鉄の沿線は工事現場と化していました。この先、下津井電鉄はどうなってしまうのか、非常に気になるところでした。