今回は、廃止を1ヵ月後に控えた下津井電鉄の様子です。
この日は前日に琴電を訪問し、高松から朝一で移動してきましたが、高松から児島まではマリンライナーであっという間でした。
1.モハ1001 (児島:1990年11月)
下津井電鉄の児島駅は、JR児島駅から少し離れた場所にありました。JRの駅は埋め立て地に造成された振興市街地に設置されましたが、下津井の駅は旧市街地の外れにありました。本ブログの最後に、瀬戸大橋線開通前,後の地形図を添付しましたのでご参考までに見て頂ければと思います。
下津井電鉄の駅はもともとは、もう少し街中にありましたが、路線短縮以降に当時の場所に移動され、観光鉄道を意識したポップなターミナル風になっていました。
2.モハ1001 (鷲羽山:1990年11月)
この日は、児島発の始発に乗り、まずは鷲羽山に出向きました。
鷲羽山は言わずと知れた観光地で、ここからの瀬戸内海の眺めは格別なものがありますが、瀬戸大橋が出来て風景が一転しました。しかし、それはそれで絵になる風景です。
ところで、この瀬戸大橋の建設で大変だったのが下津井電鉄でした。ちょうど鷲羽山駅の周辺が瀬戸大橋のルートに被ってしまい、駅の周りは工事現場と化してしまいました。もともとこの辺りは下津井電鉄の路線中で一番の難所で、一時はどうなることかと思いましたが、とりあえず路線ルートの変更は免れました。
3.モハ110廃車体利用の鷲羽山駅待合室 (鷲羽山:1990年11月)
瀬戸大橋の工事が終わり、新しくなった鷲羽山駅はなぜかホームの待合室に廃車となったモハ110をそのまま利用していました。このモハ110は台車もパンタも付いており、あたかもホームに停車中のように置かれていたので、最初見たときは、鷲羽山駅で列車交換かと思いました。
4.モハ1001 (鷲羽山~東下津井:1990年11月)
鷲羽山では下津井電鉄の俯瞰写真でも撮れないか山頂まで登ってみましたが、なかなかベストなアングルがなく、諦めて下津井目指して歩きました。
途中、東下津井の手前でモハ1001(上の写真)を一枚撮影しました。
5.下津井電鉄沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「下津井」昭和54年発行)
さて、今回注目したいのは、下津井電鉄の過酷な路線です。
この地形図は瀬戸大橋が建設される前のものです。下津井の街はまともに直行できる道路もなく、陸の孤島のような場所でした。下津井には丸亀航路があったので、下津井電鉄が開業したわけですが、なぜこんなに地理的に厳しい場所に丸亀航路ができたのか不思議です。
この地図から下津井電鉄は児島から鷲羽山のたもとを大きく迂回して下津井に至るルートであったことが良くわかりますが、地図では路線の高低差と敷設スペースの厳しさがイマイチわかりません。琴海~東下津井間が山腹を走る区間で、その前後の阿津~琴海間と東下津井~下津井間は長い勾配区間です。
6.下津井電鉄沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「下津井」平成3年発行)
続いて、この地形図は瀬戸大橋開通後のものです。瀬戸大橋線は琴海あたりで下津井電鉄と並行しますが、一瞬にして通り過ぎてしまうので、だれも下津井電鉄に気づきませんし、このあたりの地形の厳しさなど理解する間もありません。もっとも、宇高航路以外に丸亀航路があったことすら、もはや忘れ去られています。