ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1065話 1994年下津井:廃止から3年後を歩く

1994年当時は琴電の旧型車を求めてよく高松へ向かいました。そのほとんどは、瀬戸大橋線を利用していましたが、ある時、車窓からチラリと下津井電鉄廃線が見えて、そう言えば廃止後の車両がどうなったのか非常に気になりました。そんなわけで、後日琴電撮影のついでに廃止から3年経った下津井を目指しました。

しかし、下津井電車がなくなってしまい、下津井へどうやって行けばよいのか?とりあえず児島から鷲羽山行きのバスに乗り、鷲羽山から下津井までは廃線を辿ることにしました。

 

1.下津井電鉄沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「下津井」平成3年発行)

上図は、下津井電鉄廃線を辿った際に撮影した写真の撮影場所を示したものです。図中の①~⑫は、以下の写真番号を示します。

鷲羽山から下津井電鉄廃線を確認しました。廃止から3年経過していましたが、架線は外されていたものの、線路や架線柱はそのままでした。春先だったので軌道敷の雑草は枯れていましたが、線路のすぐ横に道路があるので道路を歩きました。

 

写真① 廃線 (鷲羽山~東下津井:1994年3月)

写真①は、鷲羽山から鷲羽山ハイランドへ向かう道路の途中にあった踏切跡です。さすがに警報機は撤去されていましたが、線路はそのままでした。

 

写真② 東下津井駅跡 (東下津井:1994年3月)

写真②は、鷲羽山側から見た東下津井駅跡です。ここは線路が撤去されていましたが、ホームは残っていました。

 

写真③ 東下津井駅跡 (東下津井:1994年3月)

写真③は、下津井側から見た東下津井駅跡です。ここでは1980年の夏に駅舎をバックに電車を撮影していました。

 

2.クハ24+モハ103 (東下津井:1980年8月)

その写真がこれです。東下津井駅の駅舎は、なんとも趣きのある佇まいでした。この駅舎は現役時代に撤去されています。

 

写真④ 廃線 (東下津井~下津井:1994年3月)

写真④は、東下津井から下津井へ向かう道路と並行する直線区間です。鷲羽山からこのあたりまでは、線路は山腹に敷かれ、等高線に沿った平坦な区間です。比較的新しい家が建っていますが、昔からの集落は線路よりもかなり下の方でした。

 

写真⑤ 廃線 (東下津井~下津井:1994年3月)

写真⑤は、線路が山腹から下津井の街へ下り始める場所ですが、今にも電車が来そうな雰囲気です。

 

3.モハ1001 (東下津井~下津井:1990年11月)

ちなみに、現役時代の写真です。現役時代でも線路は雑草に覆われており、廃線の様でした。

 

写真⑥ 廃線 (東下津井~下津井:1994年3月)

写真⑥は下り勾配を陸橋の上から撮影したものです。樹々の間から線路が見えます。レールも架線柱も残っていました。下津井から東下津井間は、平均25‰の片勾配が延々と2kmも続き、特に蒸気機関車時代は難所だったはずです。この勾配を下ると有名な撮影ポイントだった下津井の大カーブがありました。