ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第857話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想

宇品線と言えば広電の宇品線を連想しますが、かつては広島駅から宇品港に至る国鉄宇品線が存在しました。もう昔の話しですが1966年に表向きの旅客営業を廃止して時刻表から消滅しましたが、それ以降も貨物用の側線扱いでありながら、非公式に通勤通学用の幽霊列車を区間運転で走らせていました。もちろん有料でしたが定期客が対象だった様です。しかし、その幽霊列車も1972年には廃止され、宇品線は完全撤退かと思われましたが、この線の貨物利用者が共同で後を引継ぎ、宇品四者協定線としてしぶとく存続しました。しかし、最後まで残っていた貨物列車は、1986年9月末日で廃止され、翌日をもって宇品四者協定線も廃止となり、国鉄宇品線開業以来92年の歴史を閉じました。

ところで、私が広島に住んでいた昭和40年代~50年代には、その宇品四者協定線が残っていた頃でした。当時の貨物輸送は、交通量が非常に多い国道2号線との交差が問題となり、日の出前の早朝に1日1往復しか走らず、日中のこの路線は沿線住民の生活道になっており、本当に生きた路線なのか不思議な存在でした。

私は、さすがに早朝の貨物列車を見ることはありませんでしたが、中学時代に自転車で沿線を散策し、終点の宇品でスイッチャーを撮影したのが、宇品四者協定線現役時代の唯一の記録となりました。その後、すっかり宇品四者協定線のことを忘れていましたが、1994年の広島出張中の休日に、ふと、宇品四者協定線を思い出し、線路跡を全線歩きました。

あれから早や28年が経ち、そんな廃線探訪をしたことすら、すっかり忘れていましたが、先日、手にした「廃線系鉄道考古学Vol.1」にて、糸目今日子さんが執筆された、1992年頃の国鉄宇品線廃線探訪の記事を目にして、そう言えば、と思い出し、今回はその少し後の1994年の廃線探訪の話題をお伝えします。しかしながら、糸目さんの1992年と私の1994年の僅か2年の差が結構大きいです。広島に縁のない方には、全く面白くない話題だと思いますが、ご勘弁願います。

 

地図1.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行

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 上図は、宇品四者協定線時代の路線が記載された地形図です。この時点で宇品四者協定線は、いわゆる貨物の専用線になっており、路線は広島駅には入っておらず、反対側の広島貨物駅につながっています。参考までに、旅客営業時代の駅の位置を朱記でマークしましたが、曖昧な部分があります。この地図には広電の市内線も記載されていますが、宇品四者協定線は、ちょうど市内線5系統と1km程離れて並行していました。全長わずか6km程の宇品四者協定線ですが、広島という小さな街になぜ、宇品線が2路線存在したのか、不思議ではありますが、そのあたりの詳細は、RM LIBRARY 155に長船友則さんが「宇品線92年の軌跡」として、貴重な記録を執筆されています。

 

地図2.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行

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さて、廃線探訪ですが、正直、天気の悪い休日にすることもなく、日中はホテルを追い出されるので仕方なく決行しました。 まずはホテルから20分程歩き、かつての大洲口駅へ向かいました。今回は、大洲口周辺の状況ですが、上図の朱記①~⑤が以下の写真を撮影したポイントと撮影の向きを示します。

 

写真①

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 写真①はかつて宇品四者協定線が県道(旧国道2号線)と交差していた地点です。県道の宇品側から線路跡を広島貨物駅に向かって撮影したものですが、写真中央部のコンクリ―トは宇品四者協定線が県道をオバーパスしていた架道橋の橋台です。残念ながら、この先は駅構内のため、立ち入ることはできませんでした。ちなみに広島貨物駅は現在、マツダスタジアムになっています。

地図によると線路は、橋台の先で右にカーブして広島貨物駅構内に入りますが、旅客営業時代は逆方向の左にカーブして広島駅の構内に入っていました。この場所には、一時期広島駅方面と広島貨物駅方面の2方面に向かう橋梁が架かっていました。写真の橋台は広島貨物方面に向かう宇品四者協定線の線路跡です。

 

写真②

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 写真②は宇品四者協定線が県道をオーバーパスしていた箇所を横から見た写真です。写真の左方向は広島貨物駅、右方向は宇品です。良く見ると、道路の左側壁面には橋台が2カ所見えます。ここは元々旧国道2号線と平面交差する踏切でしたが、1949年に道路が掘り下げられて立体交差化されました。なお、現在は道路が埋め戻されて掘割りはなくなっています。

 

写真③

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 写真③は、県道の広島貨物駅側から宇品方向の線路跡を撮影したものです。写真中央部のコンクリ―ト橋台は、広島駅方面の旅客時代のものです。橋台の先の空き地は大洲口駅の跡地です。線路跡はすでにレールや枕木は撤去されていました。大洲口は広島駅方面の旅客線と広島貨物駅方面の貨物線が分岐する駅でしたが、旅客列車の廃止後は、広島駅方面の旅客線が廃止されました。

 

写真④

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 大洲口駅の跡地はまだ再開発されておらず、空き地になっており、ホームが残っていました。写真④は大洲口駅ホーム跡です。線路跡から宇品方向を撮影したものですが、写真右側の雑草が生えている部分がかつてのホームです。この廃線には、数年前まではレールも結構残っていた様ですが、1990年代になり再開発に拍車がかかり、あっという間にレールや遺構が消滅しました。

 

写真⑤

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 写真⑤は大洲口駅の宇品側から広島貨物駅方向を撮影したものです。写真の左側の雑草部分がホーム跡です。現在この場所はマツダスタジアムに繋がる広い道路になっており、跡形もありません。