ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第603話 1991年三岐:貨物を見に行く

1991年には、三岐鉄道を2回訪問しました。1回目は8月で近鉄北勢線の220系を見に行ったついでに、三岐鉄道に出向きました。

その日は、ちょうど北勢線の上笠田あたりで撮影していたので、三岐鉄道へは員弁川を挟んで、距離は2km程の近さです。わざわざ桑名まで戻るのは時間とお金の無駄使いなので、歩きました。

 

1.貨物列車 (三里~丹生川:1991年8月)

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 しかし、真夏の炎天下です。汗だくで辿り着いたものの脱水症状でギブアップです。休憩する場所もなく、やむなく線路脇の畦道で休憩していたらいきなり貨物がやってきました。後追い撮影になってしまいましたが、見かけない白いタンク車です。

 

2.クモハ601+クハ1602 (三里~丹生川:1991年8月)

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 そして、丹生川方向に歩きながら撮影です。601系がやって来ましたが、この頃の三岐鉄道の旅客車は元西武の食パン電車ばかりで、何の魅力もありませんでした。

 

3.ED5001+ED45形+貨物 (東藤原:1991年8月)

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歩き疲れたので、丹生川から電車に乗って東藤原へ機関車を見に行きました。 

東藤原のセメント工場のヤードには、東武からやって来たED5001が待機していました。この機関車は当時の三岐鉄道では一番年長の1950年製でしたが、他の機関車とは共通運用されており、1993年にはED458に改番されてED45形に編入されました。

 

4.クハ1602+クモハ601 (伊勢治田~丹生川:1991年8月)

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 体力も回復したので、こんどは伊勢治田から丹生川へ向けて再び沿線撮影です。

伊勢治田は貨物のヤードもある有人駅でしたが、駅の周りは墓場でなんとも寂しいところでした。そこから丹生川方向に10分ほど歩くと写真の青川橋梁があります。この橋梁に並行して道路橋もあり、午後なら真横から順光で撮影できますが、この写真は河原に下りて撮影しました。

 

5.クハ1602+クモハ601 (伊勢治田~丹生川:1991年8月)

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 青川橋梁は全長が142mもあるので、2連の電車なら何枚も連写できます。貨物を真横から狙うのも面白そうです。

 この後、車庫のある保々へ移動して留置車両の撮影をしましたが、続く写真は、この年2回目の訪問となった11月の状況です。

 

6.クモハ605+クハ1606 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 2回目の訪問も近鉄北勢線のついででしたが、この日は先に三岐鉄道へ出向きました。

まずは、丹生川です。丹生川には現在「貨物鉄道博物館」がありますが、当時はまだ何もなく、ここも寂しい場所でした。最初の撮影は藤原岳を入れて定番のカットですが、やって来たのは味気ない601系でした。

 

7.クモハ101+クモハ102 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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続いて似たような車両が来ましたが、これは当時の最新車?である101系です。見た目は601系と同じ元西武の食パン電車ですが、こちらは元西武401系で、前面のステンレスの飾りも西武そのままです。