ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第557話 1991年日立:本当の合理化は車種統一にあり!(その2)

案の定、この日の日立電鉄は単行しか走っておらず、連結車は全て車庫で昼寝でした。やはり日立電鉄の撮影は、平日の朝でないとダメです。

日中は大多数の車両が車庫で昼寝となり、留置場所によっては、車両が詰め込まれており、まともに撮影も出来ないこともありました。

 

1.クハ2504+モハ1009 (鮎川:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614144910j:plain

 鮎川の留置線では、幸い列車同士が離れて止まっていたので何とか撮影できました。

ところで、プリントするまで気が付きませんでしたが、写真1の車両は?今まで見かけない車両です。うっかりしていたので、車号を控えるのも忘れていました。しかし、4年前から車両の増備はなく、この車両は一体何なのか?いろいろ調べた結果、どうやらクハ2504であることがわかりました。クハ2504は元々前面が張り上げ屋根の車両でしたが、前面に雨樋が追加されて張り上げではなくなっていました。なんだかハゲ頭にかつらを被せた感じですが、見た目が4年前から全く異なる車両になっていました。この車両の4年前の様子は第86話をご覧下さい。

 

2.クハ2503+モハ1007 (鮎川:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614144954j:plain

 こちらのクハ2503は4年前と変わらずハゲ頭でした。クハ2504とは兄弟車両ですが、なぜクハ2504だけ雨樋が追加されたのか?ここにも改造車の美学があったのか?

 

3.クハ2501他 (大甕:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614145028j:plain

 クハ2500形で1両だけ生い立ちが異なる元東横電鉄のガソリンカーだった、クハ2501が大甕の留置線にいました。幸い先頭車?だったので写真は撮れましたが、ここまで数珠つなぎされると困ってしまいます。おそらく、ここに留置されている車両は予備車です。普段は走らないので側線に突っ込まれた様です。

 

4.クモハ351+クモハ352 (常北太田:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614145323j:plain

 クモハ350形は1984年に静岡鉄道からやって来た2両固定編成です。車体は1968年製の全鋼製ですが、元を正せば鶴見臨港鉄道の買収国電の鋼体化車両で、静岡鉄道のお手製車両です。4年前はまだ静岡鉄道色の銀色に青帯塗装でしたが、いつの間にか日立電鉄の標準塗装に塗り替えられて、朱に交われば日立電鉄の電車になっていました。

 

5.クモハ352+クモハ351 (常北太田:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614145347j:plain

 この2連は、静岡鉄道時代のまま改造もされず、番号もそのままでしたが、2両共モハは経済的でなかったのか、クモハ351は主回路を切ってクハ扱いでした。

この車両の同型車が福井鉄道にいましたが、あちらはカルダン車でした。

 

6.クハ109+クモハ110 (常北太田:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200614145426j:plain

急に天気が悪くなってきました。雨も降りだし、急いで撮影です。 もう一編成の静岡鉄道から来たクハ109+クモハ110も常北太田の留置線にいました。この車両の同型車は熊本電鉄にいました。