ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第228話 1986年福井:惰性の北陸早回り(その3)

1986年の北陸地方ローカル私鉄早回りも、とりあえず福井まで行ってみました。

とは言うものの、更に気合が入らず、さらっと覗いただけでした。しかし、前年にはいなかった元静岡鉄道の300形であるモハ300形が急行専用車として入線しており、車両の動向に変化がありました。

 

1.モハ141-1+モハ141-2 (西武生:1986年10月)

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モハ300形の入線により、恐らく廃車が出るはずです。

モハ300形は急行用なので、モハ200形が各停用に格下げとなり、玉突きで各停用の車両から廃車が出ると思われました。

写真のモハ140形はまだまだ主力なので、これは廃車にはならないはずです。

 

2.モハ121-1+モハ121-2 (西武生:1986年10月)

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よって、この時点で廃車の可能性が高かったのは、モハ120形、モハ21+クハ21、モハ160形でした。

 

3.モハ21+クハ21 (武生新:1986年10月)

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武生新に留置されていたモハ21+クハ21は見た感じ普段は使用されていない様子でした。この車両の廃車が濃厚と思われましたが、想定通り、モハ21+クハ21とモハ120形のモハ121-1+モハ121-2が廃車されました。

しかし、モハ120形のモハ122-1+モハ122-2とモハ160形はしぶとく残りました。

 

4.モハ301-1+モハ301-2 (家久~上鯖江:1986年10月)

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今回の訪問で初めて出会ったのがモハ300形(注1)でした。1986年に入線したばかりの元静岡鉄道の300形で、静岡時代はMT2連でしたが、福井入線に際しM車動台車1組とT車の従台車1組を振り替えてMM2連となり、冷房化およびセミクロスシート化されました。

この車両は、静岡鉄道が自社で製造したカルダン車です。静岡鉄道では新車の1000形が増備され、余剰となった300形3編成を福井鉄道が1986年~1987年に譲受し、モハ200形の後継として急行運用に充当されました。この写真のように、入線当初は静岡鉄道の塗装そのままで使用されましたが、後に塗装変更されます。

また、軌道区間用の折畳み式のドアステップも当初は中央ドア1カ所のみ設置でしたが、それでは軌道区間の電停で乗降に不便なため、後に運転台寄りのドアにも設置されました。

(注1)モハ300形の車歴

・福井モハ301-1+モハ301-2←静岡クモハ301+クハ301:1966年静岡鉄道製

・福井モハ302-1+モハ302-2←静岡クモハ302+クハ302:1967年静岡鉄道製

・福井モハ303-1+モハ303-2←静岡クモハ303+クハ303:1967年静岡鉄道製

 

5.モハ81+クハ81 (家久~上鯖江:1986年10月)

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モハ80形+クハ80形の2編成は、廃車対象ではなく生き残りましたが、この車両は後ほどカルダン化と冷房化が図られます。元を正せば初期の南海電車で木造の卵型流線形だった車両ですが、ここまで使い込まれるとは誰も思ってはいませんでした。

 

6.モハ81+クハ81 (家久~上鯖江:1986年10月)

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1986年の北陸地方ローカル私鉄早回りは富山地鉄北陸鉄道金名線福井鉄道と、搔い摘みながら非常に速足で回りましたが、その後の北陸ツアーは、社会人になった都合もあり、1990年まで足が遠のきました。