ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第234話 1988年十和田観光:観光という名のローカル線

1988年のGWは、東北地方のローカル私鉄早回りを行いました。

南から栗原電鉄、十和田観光電鉄南部縦貫鉄道弘南鉄道津軽鉄道、小坂鉄道と回りましたが、今回はその道中の十和田観光電鉄です。

ところで、十和田観光電鉄が2012年に廃止され、まだ記憶に新しいですが、せっかく東北新幹線新青森まで延伸されたのに、三沢も十和田市も通らず、期待の接続駅も誘致できなかったことがとどめを刺したのか?やはり鉄道の存続に行き詰まっていたのでしょう。

十和田観光電鉄は、その名の通り十和田湖の観光を目的とした地方鉄道でしたが、路線は東北本線の三沢~十和田市間のみで、肝心な十和田湖まで直通していませんでした。どうやら終点の十和田市からバスに乗り換えるルートになっていたようでしたが、果たして電車に乗って十和田湖へ行く旅行者はどのくらいいたのか?そして、十和田観光電鉄は鉄道会社ですが、実態は兼業するバス事業の方がはるかに大きく、電車は観光と言うより、地元のローカル線と言うのが妥当なようでした。実際、観光用の電車は1両もなく、すべて通勤電車で1988年当時は元東急3800形のお古が主力でした。

 

1.ED301 (七百:1988年4月)

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 さて、いきなり電気機関車ですが、十和田観光電鉄には2両の立派な機関車がいました。かつては貨物輸送に活躍していましたが、貨物輸送なき後も2両は健在でした。

これは、終点の十和田市で救援用に機関車を待機させていたためで、2両の機関車は車籍を有しており、列車検査を行うため3日に1度は必ず七百車庫に戻らねばならず、2両が交番で十和田市に駐在していました。

 

2.ED301 (七百:1988年4月)

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 ED301(注1)は、十和田観光電鉄の前身である十和田鉄道が非電化軽便鉄道から改軌電化を行い、十和田観光電鉄となった際に新製された、凸型30t機です。導入当初から貨物輸送に従事していましたが、釣合梁式台車の都合で速度制限を受けるなど、運用に制約があり、その後ED402が増備されると予備車に転じてしまいました。

(注1)ED301の車歴

・十和田ED301:1951年日立製作所

 

3.ED402 (十和田市:1988年4月)

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1988年当時、 十和田観光電鉄の車庫は七百にありましたが、1985年以前は十和田市にありました。車庫の移転と併せて十和田市駅も三沢寄りに300mほど移転してショッピングセンターと一体化されましたが、その後も旧十和田市駅の構内は残されて車両の留置線として使用されました。写真は、旧十和田市駅の構内に救援用として駐在していたDE402です。

 

4.ED402 (十和田市:1988年4月)

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 ED402(注2)はED301の増備車として導入された凸型35t機で、川崎車輌製の戦後唯一の私鉄向け電気機関車です。DE301に比べて味気ないスタイルをしていますが、ウイングばね台車となり速度制限も受けず、貨物牽引の主力機でしたが、1986年の貨物廃止後はED301共々失業となり、救援用、除雪用として余力をもてあそんでいました。

(注2)ED402の車歴

・ 十和田ED402:1962年川崎車輌

 

5.モハ1207+クハ1208 (七百:1988年4月)

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 十和田観光電鉄には、湘南顔の好ましい車両がいました。それが1200形(注3)です。

この車両は北海道の元定山渓鉄道から1970年にやって来た車両で、モハ+クハの2両編成ですが共に両運車でした。

 

6.クハ1208+モハ1207 (七百:1988年4月)

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 1200形はよく見ると、バス窓で車体側面に2本のリブがあり、右側運転台という一風変わった車両でした。

しかし、他車との連結運転ができず、老朽化も進んでいたため間もなく廃車になってしまい、走行撮影ができませんでした。

(注3)1200形の車歴

・十和田モハ1207+クハ1208←定山渓モハ1201+クハ1211:1954年日本車輌