ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第303話 1988年弘南(弘南):蘇る車歴の呪縛(その2)

今回の弘南鉄道弘南線は天気が悪く、夕方でもあり、お茶濁し程度の内容になってしまいました。走行写真は早々に引き上げて、平賀車庫に向かいました。

 

1.モハ3600形+クハ3700形+クハ3774 (境松~田舎舘:1988年5月)

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 3連のバックには雄大岩木山がそびえていますが、天気が悪くはっきり見えません。恐らく現在もこの景色は変わってないと思いますが、走っている車両は元東急7000系なので出向く気が起こりません。

 

2.クハ3776+クハ3675+モハ3601 (田舎舘~境松:1988年5月)

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 快速列車がやって来ました。この頃の弘南鉄道には、弘南線大鰐線共に快速運転がありました。この快速は当然停車駅が少なくその分所要時間が短いわけですが、途中で追い抜きはありませんでした。地方私鉄の快速運転は、列車本数の都合、通過となる駅の利用者にとってはサービス低下になるので、あまりはやりませんでしたが、弘南鉄道は拠点となる駅間の輸送が多かったのか、快速運転が長く継続されていました。しかし、快速運転は2006年頃になくなりました。

 

 

3.ED301 (平賀:1988年5月)

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 平賀車庫には、重鎮のED301が鎮座していました。写真には有蓋貨車も写っていますが、すでに貨物輸送もなく、この貨車はいったい何なのか不明です。ところで、車歴の呪縛で悩む中、このED301は書類上、三井三池からの譲渡車となっていますが、実は新造後にメーカーから直接弘南に来たと言われるいわくつきの車両です。注文流れのような感じもしますが、実態はよくわかりません。

 

4.モハ3613 (平賀:1988年5月)

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 モハ3613は、モハ3600形のなかで旧態然とした車体をもつグループに属しますが、そのなかでも車体を新造したのが新日国工業という当時車両の整備や更新を専門に行う業者だったので、少し外観が異なりました。

この車両も旧国のクハ65096の台枠のみを流用した戦災復旧車です。

 

5.クハ3778 (平賀:1988年5月)

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 クハ3778は、前面雨樋がアーチ形状である日本車輌製の元東急3600系です。この車両も元国鉄木造客車のナハ22068の台枠のみを流用した戦災復旧車です。

 

6.モハ3616 (平賀:1988年5月)

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モハ3616も前面雨樋がアーチ形状である日本車輌製の元東急3600系ですが、この車両は東急電鉄の手持ち部品を流用して、車体は台枠も含めて完全新製です。車体新製と言っても、見た目は他の同形車(元の車両の台枠流用)と全く見分けがつきません。

 

毎度思うのですが、台枠だけを流用しても以前の車両の名義を引き継ぐ慣習が話をややこしくしています。
この慣習は恐らく、昔の木造車が車体の上回りが老朽化すると台枠だけ残して上回りだけを更新し、あたかも同じ車両と言い張り、面倒な新車の設計認可をパスする手抜き手段として横行したことの名残なのでしょうが、この様な手抜き行為は、中古車両の導入時には結構当たり前に行われていました。

いずれ話題に挙げようと思いますが、近江鉄道など平成の時代において、西武から譲受した中古の全鋼製カルダン車に明治時代の車両の改造名義を踏襲したケースがあり、しかも車歴はグチャグチャです。
車歴の呪縛は弘南にとどまらず、まだまだ続きます。