ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第302話 1988年弘南(弘南):蘇る車歴の呪縛

1988年のGWは東北地方のローカル私鉄早回りを行いました。

比較的天気にも恵まれて、栗原、南部縦貫、十和田観光、津軽を巡り、辿り着いたのが弘南鉄道でした。

弘南鉄道には、この1年前に初訪問を行いましたが、在籍車両の複雑な車歴に翻弄されて車歴の呪縛に掛ってしまいました。いくつかの車歴の謎を解明できないまま、再びニ度目の訪問となりました。

この日は朝から津軽鉄道で撮影を行い、午後は曇ってきたので早めに引き上げて弘南鉄道を目指しました。

 

1.キハ2220 (川辺:1988年5月)

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 先ずは、川辺から乗車した黒石線のキハ22形です。この車両は素性がはっきりした素直な車両でしたが、正直言ってどうでも良い車両でした。

しかし、この黒石線は国鉄赤字ローカル線を民間である弘南鉄道が引き取ったことに意義がありました。

 

2.キハ2220 (川辺:1988年5月)

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黒石線は弘南鉄道になっても、相変わらずガラガラでした。

この日の私は、五所川原から黒石を目指していたので、わざわざ弘前まで行かなくてもこの路線で短絡できたので大変便利に感じました。しかし、そのような利用はどの程度需要があったのか?もし、需要があったらJRがこの路線を手放すわけがありません。

キハ22形に乗り、黒石に着いたのはもう夕方でしたが、沿線撮影にトライです。弘南線に乗り換えて、とりあえず境松に向かいました。

 

3.クハ3776+クハ3675+モハ3601 (境松:1988年5月)

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 弘南線の走行撮影は今回が初めてでした。来る列車のナンバーを見ると、車歴の呪縛が蘇ります。

このクハ3776は、言わずと知れた元東急3600系ですが、前面雨樋の優雅なアーチ形状が特徴の日本車輌製のグループです。しかし、その前身は国鉄の木造客車ナハフ14516の台枠流用と言われ、その名義を引き継ぐ車歴上厄介なヤツです。

 

4.モハ3600形+クハ3700形+クハ3774 (境松~田舎舘:1988年5月)

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3連を真横から狙ってみました。弘南線は、McTcTc の3連が基本です。

車両が遠くて、車号がはっきりしませんが、右端のクハ3774だけは明確です。

 

5.クハ1614+クハ3779+モハ3614 (田舎舘~境松:1988年5月)

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 先頭のクハ1614は弘南線では少数派の元旧国です。かつては同形の仲間と4両が弘南線で活躍していましたが、その後3両は大鰐線に転じ、なぜかこの車両だけ居残り、元東急3600系に混ざって孤軍奮闘です。

 

6.モハ3614 +クハ3779+クハ1614(境松~田舎舘:1988年5月)

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 先頭のモハ3614も前面雨樋がアーチ形状の日本車輌製元東急3600系ですが、この車両は元々旧国のモハ40052を戦災復旧したものです。とは言っても、台枠流用のみで、車体は1952年新製でした。