ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第575話 1989年弘南(大鰐・弘南):ステンレスカー降臨(その5)

弘南鉄道大鰐線もとうとう旧型車の終焉と思われました。

しかし、この年にデハ6000形の2連がもう1本増備されて、クハニ1271、モハ105、モハ108が廃車となりますが、モハ1122+クハ1216、モハ3403、モハ3404、クハ1266.、クハ1267は残りました。

 

1.クハニ1271+モハ3034 (石川~津軽大沢:1989年5月)

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 せっかくクハニ1271が運用されていたのに、ほんとうに天気が悔やまれました。しかし贅沢は言ってられません。天気はどうであれ、お決まりの場所で撮影です。

 

2.クハニ1271+モハ3034 (石川~津軽大沢:1989年5月)

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 その後の大鰐線ですが、1995年になぜか元南海モハ1521形が2両導入されました。同時期に弘南線にも6両導入されました。これによりモハ3403、クハ1266が廃車されます。最後まで残ったモハ1122+クハ1216、モハ3404、クハ1267はイベントや単行運転が目的の様でしたが、一般運用に入ることはなく、1999年にはすべて廃車されました。

 

3.モハ3034+クハニ1271 (石川~鯖石:1989年5月)

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 この日は東京に戻る日でしたが、弘前から急行「津軽号」に乗る予定で、まだ時間があったので、このあとちょっとだけ弘南線をのぞきに行きました。

 

4.モハ3613+クハ3775 (弘前:1989年5月)

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 さて、お茶濁し程度の弘南線ですが、こちらは相変わらずでした。本来なら、弘南線に新しい車両が投入されて、その玉突きで弘南線の車両が大鰐線に転じて、大鰐線の古い車両が淘汰されるはずですが、今回のステンレスカー投入はいきなり大鰐線に投入されたので驚きました。しかし、この年の11月には弘南線にも東急7000系が大量投入されます。弘南線の7000形には、中間車改造の先頭車も含まれました。

 

5.クハ2025 (平賀:1989年5月)

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 毎度気合の入らない弘南線ですが、平賀車庫を覗くと、クハ2025(注1)が先頭に出ていました。この車両はいつも3連の中間車に嵌り込んでいたので、なかなか撮影のチャンスがなく、今回初めて顔を拝むことが出来ました。これが最初で最後でしたが・・・。

(注1)クハ20形の車歴

・弘南クハ2025,2026←弘南モハ2025,2026←松尾クモハ201,202←国鉄クモハ20052,20054←南海モヨ104,106←阪和モヨ104,106:1930年日本車輌

クハ20形は元々JR阪和線の前身である阪和電鉄の高出力電動車でした。その後国鉄に買収された買収国電でもありますが、なぜか八幡平の松尾鉱業に転じて、その後1971年に弘南線に来ましたが、重い車両はローカル私鉄に向いておらず、軽量化のためか電装解除されました。貴重な阪和の生き残りでしたが、この年の東急7000系導入により廃車となりました。

 

6.ED301 (平賀:1989年5月)

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平賀車庫の主であるこのED301は現在も元気です。

 この年は弘南線にも東急7000系が大挙してやって来たので、多くの旧型車が淘汰されました。弘南線への東急7000系投入は翌年1990年までに2連8編成(16両)が登場し、その後1995年に南海電鉄から1521系(モハ1521形4両、クハ3901形2両)を導入して、旧型車はほとんど一掃されましたが、最後まで残ったモハ3601+クハ3672+クハ3773は、1999年に廃車されました。

その後の弘南鉄道は当然デハ7000形が主力となります。私にとっては、全く興味がなくなってしまい、これ以降弘南鉄道を訪問していません。しかし、あれからすでに30年以上も経ち、ステンレス車はいまだに現役です。さすがに錆びないステンレス車ですが実態はかなりくたびれているはずです。そろそろ次のステンレス車が欲しいところですが、それ以前に経営環境がかなり厳しい状況の様です。