ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第306話 1988年弘南(大鰐):蘇る車歴の呪縛(その5)

花見輸送で賑わう大鰐線ですが、どの車両もかなりくたびれていました。

そして、この年から車両の置き換えが始まります。大鰐線の車両はいつも弘南線からお古が玉突きで転籍するパターンですが、今回は違うようです。なにやら、また東急から中古車がやって来るようですが、どうもステンレスカーとの噂が・・・。

 

1.津軽大沢車庫全景 (津軽大沢:1988年5月)

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 この写真は朝一番で撮影したものです。当然旧型車ばかりですが、この光景もそろそろ見納めのようでした。

 

2.モハ3404非貫通面 (津軽大沢:1988年5月)

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 モハ3400形は東急から2両だけ3600系に紛れて弘南線にやって来ました。

弘南線導入時は片運車でしたが、その後再両運車化され大鰐線に転属となりました。このモハ3404のこちらの妻面は元々運転台があった妻面ですが、貫通路を埋めて非貫通化されました。

 

3.モハ3404貫通面 (津軽大沢:1988年5月)

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 同じくモハ3404の貫通側妻面です。当初は片運車の連結面だったので大きく飛び出た幌枠が付いており、運転時に視界を妨げるので幌枠を一部切り欠いています。

 

4.モハ3403の車内 (津軽大沢:1988年5月)

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 モハ3403の車内はグリーンのシートと木製の袖仕切りが目を引きました。

 

5.モハ3403非貫通面 (津軽大沢:1988年5月)

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 モハ3403も再両運化時に運転台があった妻面を非貫通化しました。中央窓の上下にシルとヘッダーが通っており、モハ3404よりも非貫通ぽく見えます。

 

6.モハ106廃車体 (津軽大沢:1988年5月)

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 津軽大沢車庫の裏には元モハ106のダルマがいました。

 

さて、1988年5月時点の弘南鉄道の車両を少々ご紹介しましたが、この年の10月には大鰐線にいよいよステンレスカーの東急6000系7000系が導入されました。

東急7000系と言えば1980年代末期から大量放出されて、全国各地の地方鉄道が東急化する脅威を感じるほどあちこちに出現しました。さすがにステンレス車体は錆びず、塗装経費もかからないので、車両の老朽化にあえぐ地方鉄道にとっては救世主的存在だった様です。そしていまだに各地で活躍しており、つい最近も近鉄だった養老鉄道が、近鉄の中古車ではなく、VVVF化された東急7700形を導入しました。しかし、養老鉄道は製造から50年経ったこの車両をこれから30年使用するとのことですが・・・。ともあれ、弘南鉄道の方はそろそろ取り替え時のように思えます。

話しは戻りますが、結局この訪問が弘南鉄道旧型車の大活躍を撮影できた最初で最後となります。この続きである「花見客輸送」の状況は別途報告します。