この日はGWの最中なので、本来なら弘前城の花見客で賑わうはずですが、雨なので大鰐線は閑散としていました。
1.デハ6006他 (大鰐:1989年5月)
大鰐には、先程車庫にいた デハ6006+デハ6005が来ていました。
2.デハ6006+デハ6005 (大鰐:1989年5月)
デハ6000形は快速運用に充当されていました。
さて、このデハ6006+デハ6005ですが、大鰐線に来る前は東急こどもの国線で働いていました。その頃からこの2両はコンビを組んでいましたが、元々は4両編成で2両の中間車を挟んでいました。東急時代に6連化のために中間車を他の編成に提供して、余った先頭車同士で2連化されたものです。
3.デハ6006の車内 (大鰐:1989年5月)
ピンボケですが、デハ6006の車内です。側構体が「くの字」に折れている独特の車体断面です。東急時代のステンレスカーで先輩の5200系も同じような「くの字」断面でしたがその頃のステンレスカーはまだ鋼材の骨とSUSの外皮を組合わせたセミステンレス構体でした。よって、経年的に鋼材の腐食で外板が浮いたり、スポット溶接が外れたりするトラブルが発生しましたが、現役の頃のデハ6000形も恐らくは相当手入れして使用されていたものと思われます。錆びないステンレスですが、鋼材部分の腐食は厄介で従来の鋼製車の方が補修は簡単です。
4.デハ6006+デハ6005 (大鰐:1989年5月)
デハ6000形(注1)は、東急時代わずか20両の小世帯でしたが、最終的に先頭車のみ4両が大鰐線に再就職しました。この他にも中間車が4両譲渡されましたが、これは部品確保用のため未入籍で車体のみ3両が倉庫に使われました。
(注1)デハ6000形の車歴
・弘南デハ6005+デハ6006←東急デハ6005,デハ6006:1961年東急車輛製
5.デハ7000形2連 (石川~鯖石:1989年5月)
雨が上がったので、石川にある小高い丘の公園から俯瞰撮影をしました。本家の東急電鉄では2連の7000系を見ることがありませんでしたが、デハ6005+デハ6006が大鰐線にやって来た以降、東急こどもの国線には2連の7000系が投入されました。
6.デハ7000形2連 (石川~鯖石:1989年5月)
この撮影場所には若干の桜が咲いていました。そういえばこの時期の弘前城は桜が満開のはずですが、この天気では花見輸送の雰囲気もありません。
7.デハ7034+デハ7033 (鯖石~石川:1989年5月)
その後、この7000形は弘南線にも導入されて旧型車が淘汰されます。あわや東急弘南・大鰐線になってしまうのかと思いましたが、なんと吊掛車の南海1521系も導入されました。弘南鉄道は吊掛車を一掃するつもりではなかったのか?答えは大型車が欲しかった様ですが、それにしても南海1521系とはどういうことなのか?