ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第134話 1987年弘南 車歴の呪縛(その6)

10連休中にケリがつかなかった弘南鉄道ですが、ようやく今回で終わりです。今回も弘南線の続きですが、内容はどうであれ、とりあえず3600系ネタが一段落してかなり気が楽になりました。

 

1.クハ1700 (弘前:1987年8月)

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 写真は、偶然弘前駅で出くわしたクハ1700(注1)です。1形式1両のこの車両はもともと3連用のサハとして1971年に譲受した旧型国電です。しかし日中運用の見直しで2連化が図られ、1984年にサハ1700をクハ化したものです。このような変形車両が興味をそそります。

(注1)クハ1700の車歴

・弘南クハ1700←弘南サハ1700←国鉄サハ17210←国鉄サハ39018:1932年日本車輌東京製

 

2.クハ1700車内 (弘前:1987年8月)

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 クハ1700の車内はスタンションポールも健在でした。この写真は運転室の方を写したものですが、よく見ると運転室背面のスペースを仕切るアコーディオンカーテンのような物が写っています。この車両は簡易な荷物室を備えていたのかも知れません。

 

3.ED301 (平賀:1987年8月)

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 弘南線には電気機関車が2両在籍していました。以前は貨物輸送もあった様ですが、1987年当時は貨物輸送はなく、電気機関車は失業状態でした。

写真のED301(注2)は均整のとれたスタイルの凸型30t機です。書類上は三井三池から購入となっていますが、実際は新製後三井三池には入らず、1950年に直接弘南線に納入されたとのことで、いわく有りそうな車両です。貨物輸送なきあと、この車両は平賀車庫の入換機として使用され現役です。

(注2)ED301の車歴

・弘南ED301←三井三池?:1949年日本鉄道自動車製

 

4.ED333 (黒石:1987年8月)

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 もう1両の電気機関車アメリカ・ウエスチングハウス製の舶来機であるED333(注3)です。大鰐線にもウエスチングハウス製のED221が居ましたが、生い立ちは全く別で、こちらは西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が輸入した凸型33t機です。1961年に貨物輸送用に西武鉄道から弘南線にやって来ましたが、貨物輸送廃止後は専ら除雪用にラッセル車キ104の動力として使用され現役です。

(注3)ED333の車歴

・弘南ED333←西武E13←武蔵野デキカ13:1923年米国WH製

 

5.廃車体 (平賀:1987年8月)

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 平賀車庫の裏には、やはりダルマがいました。

この車両は元モハ102で元秩父鉄道デハ19を前身とする車両の車体を弘前電鉄にて簡易鋼体化したもので、1973年に廃車となり車体が倉庫として活用されました。

 

6.キハ2230 (黒石:1987年8月)

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さて、最後は黒石線です。 

弘南鉄道は長らく弘南線大鰐線の2路線でしたが、1984年に国鉄の赤字路線だった黒石線を引き継ぐことになりました。なんとなく地元に対する恩義のようにも思えましたが、わざわざ線路を弘南鉄道黒石駅に引き込み、国鉄の中古気動車を3両譲受しました。しかし結果は想定通り、弘南鉄道黒石線は1998年に廃止となりました。

 

7.キハ2230 (黒石:1987年8月)

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 1987年当時黒石線で活躍していた車両は、キハ22形(注4)3両で、いずれも元国鉄キハ22形であり、入線時に便所を撤去して荷物室にする程度の改造を施しました。

(注2)キハ22形の車歴

・弘南キハ2210,2220,2230←国鉄キハ22128,22130,22143:1962年新潟鐵工所

 

1987年の弘南鉄道3路線訪問はとにかく時間が足りなくて全容を把握できませんでした。古い車両の置き換えもささやかれ、翌年再度訪問となりました。

ところで、当時の在籍車の車歴ですが、今一つスッキリしません!!。