ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第163話 1987年関東(龍ヶ崎) 気動車三昧(その11)

さて、"イタチの最後のすかしっ屁”ではありませんが、このシリーズの最終回は、おまけの様な存在の関東鉄道龍ヶ崎線です。

しかしながら、この路線はわずか4.5kmのミニ路線にもかかわらず、歴史は古く明治33年開業の龍ヶ崎鉄道にまで遡り、徹底した合理化で現在も関東鉄道のドル箱路線です。龍ヶ崎線は関東鉄道合併前は鹿島参宮鉄道の路線でした。鹿島鉄道とは長らく一緒の会社でしたが、関東鉄道になってからは徹底した合理化により、関東鉄道でありながら閉ざされた路線になってしまった様です。現在も車両は常総線とは共通ではなく、すべて龍ヶ崎線仕様で進化を遂げており、いわば関東一家のガラパゴス的存在です。

 

1.キハ532 (龍ヶ崎:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190414150128j:plain

関東鉄道グループ中で一番足が向かなかった龍ヶ崎線ですが、初訪問は1987年1月でした。

足が向かなかった理由は、龍ヶ崎線の車両がつまらなかったからです。龍ヶ崎線は早くから合理化が徹底されており、車両も合理化にあわせてワンマン化や車両更新をいち早く進めた結果、常総線の様なゲテモノ車両もなく、見た目は新しい車両ばかりで、在籍車はたった4両のとにかくつまらない陣容でしたが、とりあえず当時の状況を報告します。

 

2.キハ532 (佐貫:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190414150151j:plain

在籍する4両の中で一番新しい車両はキハ532形キハ532でした。

この車両は常総線のキハ0形の両運車版ですが、こちらの方が登場が少し早く、認可上は新製車ですが、車体を新製して国鉄キハ20系の廃車再生品を流用した最初の車両です。キハ0形との違いは龍ヶ崎線用にドアがステップ付きの片引きで、運転台はワンマン運転のためホーム側に設置され、この写真のように龍ヶ崎寄りの運転台は右側配置となっています。

 

3.キハ532 (佐貫:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190414150212j:plain

 キハ532(注1)は日中の単行運転のほか、ラッシュ時の3連増結や、2連のキハ520形の片方が検査入場した際の臨時の相方として活躍しました。よって連結用の貫通幌も常備されていました。

(注1)キハ532の車歴

・関東キハ532:1981年新潟鐵工所

 

4.キハ531+キハ522 (佐貫:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190414150230j:plain

龍ヶ崎線にもう1両いた両運車が、キハ530形キハ531(注2)でした。

キハ531もキハ532と似たような容姿で、共通運用で用途も同じですが、この車両はキハ532とは別形式で生い立ちは全く異なる中古車改造名義の車両です。その名残は菱枠台車に見られますが、この車両は江若鉄道が自社発注した戦前製の機械式気動車が前身です。江若鉄道が廃止となり、1970年に常総線にやって来ました。入線時は同じく江若から移籍した常総線のキハ551と同じような貫通タイプの顔をしていましたが、この車両は、その後1977年に大栄車輌で車体を新製して写真の姿になりました。

(注2)キハ531の車歴

・関東キハ531←関東キニ5123←江若キハ5123←江若キニ6:1931年川崎車輌

 

5.キハ522+キハ531 (龍ヶ崎:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190414150246j:plain

 そして2連で使用されたのがキハ520形(注3)です。1987年の訪問時はキハ521が検査入場中だったので、キハ522はキハ531と臨時のコンビを組んでいました。

このキハ520形も江若からの移籍車ですが、さらにその前身は元国鉄のキハ42000系です。江若時代には中間車にキサハを挟んで3連固定編成で使用され、そのまま龍ヶ崎線に転じましたが、龍ヶ崎線ではキサハを抜いて2連で使用されました。

転入時は片運貫通化されていましたが、前頭部は国鉄キハ42000系特有の卵型流線形を維持していました。しかし龍ヶ崎線では1975年の車体更新時に切妻貫通タイプの車体を大栄車輌で新製し、写真のようになりました。

(注3)キハ520形の車歴

・関東キハ521←関東キハ5121←江若キハ18←国鉄キハ42054:1947年日本車輌

・関東キハ522←関東キハ5122←江若キハ19←長門キハ11←国鉄キハ42017:1946年日本車輌

 

1987年時点の龍ヶ崎線の状況は以上です。この路線はその後も坦々と2000年頃まで変化もなく、目立たずも関東鉄道のドル箱路線として現在に至ります。

さて、11話に渡る関東鉄道のシリーズも今回で終わりです。1987年の1月~3月は常総線以外にも筑波鉄道鹿島鉄道茨城交通なども併せて訪問し、この3ヵ月間はまさに気動車三昧でした。今思えば暇な学生だったからこそ、これだけ没頭できたものと思います。関東鉄道常総線はその後、機関区を南水海道に移転し、車両検修設備の体質改善を図り、車両も国鉄清算事業団から多量のキハ30形、キハ35形を譲受して雑多な気動車は一掃されます。その直前のローカルな関東鉄道らしい最後の情景を記録できたと思います。