ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第304話 1988年弘南(大鰐):蘇る車歴の呪縛(その3)

弘南線の翌日は大鰐線です。

実はこの日の前日は泊まる宿がなくて難儀しました。どこの宿も弘前の花見客でいっぱいで、探し回ったあげく、休業日だった旅館に泊めてもらえることになり、野宿は免れました。

 そしてこの日、最初に向かったのは車庫のある津軽大沢でした。

 

1.クハ2251、クハニ1271 (津軽大沢:1988年5月)

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 朝っぱらから車庫を訪れた理由は、出庫車両をねらった形式撮影が目的でした。

しかし、この日は少し様子がおかしく、本来であれば車庫内に押し込まれているはずの車両がおらず、車庫内は閑散としていました。理由は花見輸送のため、朝から4連が2本も運用に入っていたからです。もしかすると、この日は終日4連が走るのではないかと期待し、とりあえず車庫内にいる車両の撮影を進めました。

 

2.クハニ1271の荷物室寄り車内 (津軽大沢:1988年5月)

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車庫には、買収国電のクハニ1271とクハ2251が並んでいました。

元伊那電鉄サハニフ403のクハニ1271の車内を撮影させてもらいました。 この車両は運転室の後部が荷物室となっており、荷物室と客室は窓のない仕切りがあるので、運行中は前方を見ることが出来ません。もともと国鉄時代まで荷物室合造の付随車でしたが、1958年弘南導入後に制御車化されました。また、クロスシート車でしたが、1965年にロングシート化されました。大鰐線ではモハ3403とコンビを組んでいました。

 

3.クハ2251 (津軽大沢:1988年5月)

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 こちらの汚れた電車は元富士身延モハ102のクハ2251です。元は2扉電動車でしたが弘南に来てから3扉化され、この当時は大鰐線に同型車が3両いましたが、この車両だけがクハ化されました。なぜか同型同士でコンビを組まず、この車両は元旧国のモハ1120とコンビを組んでいました。 

  

4.モハ2253 (津軽大沢:1988年5月)

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 この車両はモハ2253です。定期検査出場直後で車体の塗装もきれいです。この車両はクハ1267とコンビを組んでいました。

 

5.モハ2253の車内 (津軽大沢:1988年5月)

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モハ2253の車内です。この車両はもともと中距離用電車として製造され、もとは2扉クロスシート車でした。中央扉は弘南線導入後に追加されたものです。内装は当時の弘南鉄道標準である、室内白色塗装、エンジ色のロングシート、曲げパイプの袖仕切りなどの構成でした。

 

6.モハ108、モハ2252+クハ1266 (大鰐:1988年5月)

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 右側のモハ2252はクハ1266とコンビを組んでいました。

左側のモハ108は単行運転用の車両なので、多客時はお休みです。この車両は元京急400形の車体流用の窓が大きい開放感のある車両ですが、どういうわけか新車として導入された不可解な車両です。