ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第366話 1988年弘南(大鰐):花より電車!!

1988年のGWは東北地方のローカル私鉄早回りを行いましたが、どこも桜が満開の時期でした。第112話~第117話では、その時桜満開だった津軽鉄道の様子を報告しましたが、今回は津軽鉄道に続いて訪問した弘南鉄道大鰐線の話題です。

大鰐線沿線には列車と桜を一緒に撮影できる場所がありませんが、全国的に花見で有名な弘前城への地元の交通手段として、花見の時期の大鰐線は一年で一番賑わいます。ほぼ全車がフル稼働で、4連も動員されました。

 

1.クハ1610+モハ1121 (石川~津軽大沢:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20191009205546j:plain前日は夕方にちょっとだけ弘南線を訪問したものの、天気がイマイチでしたが、この日は天気も回復し、早朝から津軽大沢の車庫を訪問しました。その車庫の様子は、第302話~第306話で報告済ですが、今回は花見輸送で大盛況の大鰐線の走行撮影です。

ところで、弘前の桜は集客が半端ではありません。前日はうっかり宿の手配を忘れていて、夕方にあちこち電話を掛けましたがどこも空いておらず、あわや野宿かと木賃宿風の旅館を訪ねたところ、よほど哀れに思われたのか休業にもかかわらず泊めてもらえることになり、とりあえず野宿は免れました。

 

2.クハ1612+モハ1122 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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 さて、撮影ですが、まずは車庫のある津軽大沢から大鰐方面に移動しながら行いました。すでに4連も運行されている様で、いつやって来るか分かりませんが、陽の向きが微妙に正面がちで悩ましかった記憶があります。

 

3.クハ1266+モハ2252 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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 この辺りは、津軽大沢から1kmほど歩いた場所です。アップダウンのある直線で、ここなら4連も撮影できます。当時は津軽大沢の次の駅は石川で、駅間が2.3㎞ありましたが、現在はこの辺りに義塾高校前という駅ができました。

 

4.クハ1613+モハ2233 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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小高い丘に上がって弘前市内を俯瞰しました。この辺りは田園地帯ですが、はるか前方は弘前の市街地です。この場所は正面に岩木山が見えるはずですが、霞んで見えません。快速がやって来ましたが、これも2連です。

 

5.クハ1610+モハ1121 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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 先程撮影した2連が戻って来ました。運行されている列車は一巡しましたが、4連が来ません。まさか、4連の運行は朝だけでもう終わってしまったのか?

 

6.クハ2251+モハ1120+クハ1612+モハ1122 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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 しかし、ようやく待望の4連が来ましたが、陽の向きが完全に正面になってしまい、せっかくの4連の側面が影になってしまいました。

ところでこの4連は、先程撮影したクハ1612+モハ1122の大鰐寄りにクハ2251+モハ1120を増結したものです。クハ2251が頭に出てくれたので、この後の撮影も楽しみで気合が入ります。

 

7.クハ1613+モハ2233 (石川~津軽大沢:1988年5月)

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 続いて、快速の折返しです。いつも思うのですが、大鰐線の快速列車の意味が分かりません。朝夕2往復ずつ運行され、停車駅は石川、津軽大沢、千年、西弘前のみでした。速達性を考えた運用だったとは思いますが、通過する駅の利用客にはいい迷惑だったのでは? ちなみに現在快速は走っていません。