ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第133話 1987年弘南 車歴の呪縛(その5)

10連休も今日で終わりです。時代は令和になりましたが、ブログに集中していたせいか、私の頭の中は昭和に逆戻り状態です。明日から社会復帰できるか心配です。

そして、昭和晩年の弘南線です。

弘南線弘南鉄道の本家となる路線ですが、大鰐線で長居しすぎたので弘南線はさらに速足での訪問となりました。当時弘南線には若干の元旧国と買収国電が居ましたが、大半は1975年~1981年頃に20両も転籍してきた元東急の3600系でした。この元東急の車両は、当時転籍元である東急目蒲線や池上線にまだ同形車が残っていました。そして当時私の勤務地は蒲田だったので、それらを毎日の様に見ており、正直どうでも良い感じでした。

よって、弘南線の車両は適当に撮影しただけでしたが、今となって、ここでまた頭が痛いのは、東急3600系の車歴です。

 

1.モハ3616+クハ3777+クハ3776 (平賀:1987年8月)

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東急3600系はその生い立ちが異常なほど複雑で、特に戦後の車両不足時に自社や国鉄の戦災復旧で登場した車両は、諸説文献を紐解いても実態が分からないものがあります。連休前より車歴を整理してみましたが納得できず、いろいろ瞑想していると夜も眠れません。車歴の呪縛にかかってしまいました。どなたか助けて欲しい心境です。

東急電鉄から譲受した車両は、第1グループが1975年頃、第2グループが1980年頃に区分され、いずれもほぼ東急時代の車番を継承しています。このグループは、ほとんどが戦後の車両不足時期に国鉄の被災車両を東急が譲受し再生した戦災復旧車であり、更新時期により、半鋼製車と鋼製車にわかれますが、弘南が譲受した第1グループが半鋼製車、第2グループが鋼製車です。

そして、Mc車が8両、Tc車が12両で、Tc車が多いのは、Mc+Tc+Tc(増結)の3両編成が基本となっていたためです。

弘南鉄道ではこれらの車両を4形式に区分し、モハ3600形、クハ3600形、クハ3700、3770形としました。

 

2.モハ3608 (弘前:1987年8月)

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 モハ3600形(注1)は、元東急デハ3600形ですが、この車両は東急電鉄が戦後の車両不足時期に国電戦災復旧車を、1949年~1952年にかけて改造した16両のうちの8両です。この内、3601,3602,3607,3608は戦災復旧車の車体を改修して流用したものでしたが、1964年から東横車輌にて全金製の東急標準車体に更新されたグループです。

また、3612,3613,3614,3616は復旧改造時に種車の台枠流用で国鉄モハ50形ベースの車体に更新されたグループです。

 

3.モハ3614+クハ3779+クハ3781 (弘前:1987年8月)

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 (注1)モハ3600形の車歴
・弘南モハ3601←東急デハ3601(1964年全金化)←国鉄モハ31087:1931年川崎車輌
・弘南モハ3602←東急デハ3602(1965年全金化)←国鉄モハ30036←国鉄デハ73235:1927年日本車輌
・弘南モハ3607←東急デハ3607(1964年全金化)←国鉄モハ30108←国鉄デハ73307:1927年川崎車輌
・弘南モハ3608←東急デハ3608(1966年全金化)←国鉄モハ30175:1927年日本車輌
・弘南モハ3612←東急デハ3612(1951年汽車会社にて車体新製)←国鉄モハ30037←国鉄デハ73236:1927年日本車輌
・弘南モハ3613←東急デハ3606(1950年新日国工業にて車体新製) ←国鉄クハ65096←国鉄サロ18022←国鉄サロ43121:1924年日本車輌東京製
・弘南モハ3614←東急デハ3614(1950年日本車輌にて車体新製)←国鉄モハ40052:1935年田中車輌製
・弘南モハ3616←東急デハ3616:1952年日本車輌

 

4.クハ3776 (平賀:1987年8月)

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 クハ3700形(注2)、クハ3770形(注3)は、元東急クハ3770形(3679を除く)ですが、モハ3600形同様、東急時代に国電戦災復旧車を更新したものであり、9両が弘南線に導入されました。このうち3773,3774,3775は、当初国電の車体を流用したもので、1960年から東横車輌にて全金製の東急標準車体に更新されたグループです。また、3776以降の車両は車両メーカーにて車体新製されたもので、メーカーにより細部に特徴があります。

 

5.クハ3781 (平賀:1987年8月)

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 (注2) クハ3700形の車歴
・弘南クハ3773←東急クハ3773(1965年頃全金化)←国鉄クハ65027←国鉄クハ15023←国鉄サハ26137←国鉄サハ33563:1924年日本車輌
・弘南クハ3774←東急クハ3774(1965年頃全金化)←国鉄サハ36024←国鉄デハ73523:1927年汽車会社製
・弘南クハ3775←東急クハ3775(1965年頃全金化)←国鉄サハ36052←国鉄サロ35007:1928年日本車輌
(注3) クハ3770形の車歴
・弘南クハ3776←東急クハ3776(1950年日本車輌にて車体新製)←国鉄ナハフ14516:1918年製造所不詳
・弘南クハ3777←東急クハ3777(1950年日本車輌にて車体新製)←国鉄ナハ24071:製造年不詳製造所不詳
・弘南クハ3778←東急クハ3778(1950年日本車輌にて車体新製)←国鉄ナハ22068:製造年不詳日本車輌
・弘南クハ3779←東急クハ3679:1950年日本車輌
・弘南クハ3780←東急クハ3780(1951年新日国工業にて車体新製)←国鉄サハ78032←国鉄サロ45011:1931年日本車輌
・弘南クハ3781←東急クハ3781(1951年東急車輛にて車体新製)←国鉄ナニ16502:1911年汽車会社製

 

6.クハ3674、クハ1614 (平賀:1987年8月)

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 クハ3600形(注4)は、元東急クハ3670形ですが、当初の国電戦災復旧車を1948年から東横車輌にて全金製の東急標準車体に更新されたグループで、3両が弘南線に導入されました。 

(注4) クハ3600形の車歴
・弘南クハ3672←東急クハ3672(1965年頃全金化)←国鉄モハ30025←国鉄デハ73224:1926年日本車輌製 

・弘南クハ3674←東急クハ3674(1965年頃全金化)←国鉄モハ30045←国鉄デハ73244:1927年日本車輌製 

・弘南クハ3675←東急クハ3675(1963年全金化)←国鉄モハ50114←国鉄モハ10104←国鉄デハ63203:1926年日本車輌東京製

 

上の写真の右に写っているのは、元旧国のクハ1614(注5)です。

弘南鉄道には1987年時点でクハ16形は4両在籍していましたが、弘南線にはこのクハ1614だけが所属し、他は大鰐線所属でした。

(注5)クハ1614の車歴

・弘南クハ1614←国鉄クハ16548←国鉄クロハ16848←国鉄クハ65212←国鉄クハ17059←国鉄サハ26059←国鉄サハ33633:1926年汽車会社東京製

 

7.モハ3607+クハ2025+クハ1614 (黒石:1987年8月)

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 この写真の編成は、元東急デハ3600形+元買収国電阪和モヨ100形+元旧国クハ16形の凸凹編成です。

クハ20形(注6)は、1971年に松尾鉱業から路線廃止に伴い2両が移籍してきました。この車両はJR阪和線の前身である阪和電鉄のモヨ100形で弘南線に入線した当初まで電動車でしたが、重量が重く、1978年に制御車化されました。1986年時点では弘南線の列車は3両編成が基本であったため、クハ20形は中間車となり先頭に出ることはなく、写真を撮り損ねてしまいました。

(注6)クハ20形の車歴

・弘南クハ2025,2026←弘南モハ2025,2026←松尾モハ201,202←国鉄クモハ20052,20054←阪和モヨ104,106:1930年日本車輌

 

とりあえず、今日はここまでです。

連休中に弘南鉄道を終わらせるつもりでしたが、終わりません。あと1回くらいで終わりにしようと思います。