ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第235話 1988年十和田観光:観光という名のローカル線(その2)

十和田観光電鉄は、1951年の改軌電化時に自社発注の電車でのスタートしましたが、1988年時点では、その頃の車両は電気機関車のED301を除きすでに存在していませんでした。初代の車両に代わり主力となっていたのが東急電鉄からの譲渡車両でしたが、自社発注の車両が2両だけ存在していました。

 

1.クハ4406+モハ3401 (三沢:1988年4月)

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この頃残っていた自社発注車は、クハ4406(注1)とモハ3401(注2)でした。共に全金属製の両運車で非常に似た形態をしていましたが、モハ3401は1955年製、クハ4406は7年後の1962年製で製造メーカーも異なりました。

製造当時は大変スマートでデラックスな車両として話題を呼び、相当奮発して発注された車両のようでした。たしかにその頃は地方鉄道でこれほどの車両を新製した事例は少なく、特に東北地方ではピカイチの存在でした。まさに観光電鉄に相応しい車両でしたが、景気の良かったのはこの頃までで、その後の新製車はありませんでした。 

 

2.クハ4406+モハ3809 (十和田市:1988年4月)

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 (注1)クハ4406の車歴

・十和田クハ4406:1962年川崎車輌

(注2)モハ3401の車歴

・十和田モハ3401:1955年帝国車輌製

 

3.モハ3809+クハ4406 (十和田市:1988年4月)

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 1988年当時、東急電鉄からやって来た車両が3両いました。

いずれも元東急3800形ですが、3両まとめて1981年に入線しました。モハが2両、クハが1両でモハは入線時に両運化され、クハは片運のままでした。

 

4.クハ3810 (十和田市:1988年4月)

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クハ3810(注3)は元東急クハ3855です。 この車両は東急時代の1973年に車体更新されましたが、他のモハより更新時期が早かったためか、車体にシル・ヘッダーが残るやや古めかしいスタイルです。

(注3)クハ3810の車歴

・十和田クハ3810←東急クハ3855:1952年東急横浜製作所製

 

5.モハ3811 (七百~古里:1988年4月)

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 モハ3800形(注4)の2両は元東急デハ3800形でした。元は共に片運電動車でしたが、モハ3811は東急時代に中間電動車化されていました。十和田移籍時に連妻側に半室運転室を設けたので、前後で表情が異なる顔になりました。

上の写真のモハ3811は元々先頭側の妻面ですが、東急時代に中間車化され運転室を撤去していましたが、再び半室運転室を設けて両運化されました。

 

6.モハ3811 (古里~七百~:1988年4月)

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こちらの妻面は、元連妻側です。切妻なので平凡な顔付です。

 (注4)モハ3800形の車歴
・十和田モハ3809←東急デハ3801:1927年東急横浜製作所製

・十和田モハ3811←東急デハ3802:1927年東急横浜製作所製