ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第935話 1993年長野:残っていた吊掛車

今回は、初めての長野電鉄です。長野電鉄は1981年の長野市街地の地下化で、大量の東急5000系を導入し、旧型車を一挙に淘汰しました。よって、趣味的には全くつまらない鉄道になってしまい、ことごとく縁がありませんでした。しかし、1993年当時には、まだ吊掛車が残っているとの情報があり、碓氷峠を越えて屋代に出向きました。

 

1.クハ2560+モハ2510 (雨宮~東屋代:1993年5月)

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旧型車は、河東線の屋代~須坂間を走っているとのことでしたが、最初に来たのは2600系でした。この頃、お隣の上田交通では同じく元東急5000系の緑カエルが活躍していましたが、そろそろ引退となり、ちょうど元東急7200系が入り始めたころでしたが、長野の赤カエル2600系(注1)はまだまだ主力の様でした。しかし、元東急5000系も第二の職場で余生を送る身分であり、老い先は長くなさそうです。

 

2.クハ2560+モハ2510 (雨宮~東屋代:1993年5月)

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(注1)2600系の車歴

<2連用> 長野・屋代←モハ2500形+クハ2550形→湯田中・木島

①モハ2500形

・長野モハ2501←東急デハ5035:1957年東急車輛

・長野モハ2502←東急デハ5029:1956年東急車輛

・長野モハ2503←東急デハ5037:1957年東急車輛

・長野モハ2504←東急デハ5023:1956年東急車輛

・長野モハ2505←東急デハ5019:1956年東急車輛

・長野モハ2506←東急デハ5021:1956年東急車輛

・長野モハ2507←東急デハ5039:1958年東急車輛

・長野モハ2508←東急デハ5011:1955年東急車輛

・長野モハ2509←東急デハ5045:1958年東急車輛

・長野モハ2510←東急デハ5015:1956年東急車輛

②クハ2550形

・長野クハ2551←東急クハ5155:1959年東急車輛

・長野クハ2552←東急クハ5153:1959年東急車輛

・長野クハ2553←東急デハ5022:1956年東急車輛

・長野クハ2554←東急クハ5151:1959年東急車輛

・長野クハ2555←東急クハ5152:1959年東急車輛

・長野クハ2556←東急デハ5020:1956年東急車輛

・長野クハ2557←東急クハ5154:1959年東急車輛

・長野クハ2558←東急クハ5158←東急デハ5012:1955年東急車輛

・長野クハ2559←東急クハ5159←東急デハ5046:1958年東急車輛

・長野クハ2560←東急クハ5160←東急デハ5016:1956年東急車輛

 

3.クハ2560+モハ2510 (雨宮~東屋代:1993年5月)

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<3連用> 湯田中・木島←モハ2600形+サハ2650形+モハ2610形→長野・屋代

①モハ2600形

・長野モハ2601←東急クハ5036:1957年東急車輛

・長野モハ2602←東急デハ5014:1955年東急車輛

・長野モハ2603←東急デハ5041:1958年東急車輛

②モハ2610形

・長野モハ2611←東急デハ5033:1957年東急車輛

・長野モハ2612←東急デハ5013:1955年東急車輛

・長野モハ2613←東急デハ5042:1958年東急車輛

③サハ2650形

・長野サハ2651←東急サハ5367:1957年東急車輛

・長野サハ2652←東急サハ5357:1955年東急車輛

・長野サハ2653←東急サハ5375:1958年東急車輛

 

4.クハ2560+モハ2510 (雨宮~東屋代:1993年5月)

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ところで、やって来るのは2600系ばかりで、旧型車はどうなっているのか?旧型車がいるという情報はありましたが、いつ走っているのか情報もなく、ひたすら沿線を彷徨いながら待つしかありません。

 

5.モハ1502 (岩野~雨宮:1993年5月)

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この日は屋代から須坂方面に向けて歩きました。いつどこで吊掛車と遭遇するか分かりません。そして、4km程歩いた雨宮~岩野間で吊掛車をキャッチしました。長野電鉄の吊掛車は、モハ1500形(注2)でした。閑散時間帯の単行運転用に2両だけ残された両運車でしたが、この車両が生き延びた訳は、屋代~須坂間はこの程度の輸送力しか必要としない路線だったと言うことです。

 

6.モハ1502 (雨宮~岩野:1993年5月)

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モハ1502の須坂寄りの顔は、前面窓がHゴム支持となり、間抜けな顔つきでした。間抜け顔ではない純正の顔の方が綺麗に撮れたので良かったです。

(注2)モハ1500形の車歴

・長野モハ1501,1502←モハ1551,1552:1951年日本車輌

モハ1500形は、長野電鉄の1000系一族であり、外観もほとんどモハ1000形と同じでした。モハ1500形が残された理由は、恐らく新製車で発電ブレーキ付きだったからと思われます。