ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第936話 1993年長野:残っていた吊掛車(その2)

この日は、河東線をロケハンしながら屋代~信濃河田間で撮影しましたが、良い撮影場所がありませんでした。天気は晴れていましたが、霞が掛かったようでスッキリしませんし、撮影も全く気合が入っていませんでした。

 

1.モハ1502 (岩野~象山口:1993年5月)

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良い撮影場所が見つからず、モタモタしていたらモハ1502が来てしまいました。畑は何もなく地面が剥き出しで、やたらと電線が邪魔な場所です。おまけに陽の向きもイマイチです。

 

2.モハ1502 (象山口~岩野:1993年5月)

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結局、モハ1502の撮影は以上で終わりです。そして、モハ1502は2か月後に廃車されてしまいました。もう1本モハ1501は1999年まで生き延びましたが、もう撮影に出向くことはありませんでした。

 

3.モハ2510+クハ2560 (象山口~松代:1993年5月)

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そして、この日の撮影は時間がまだ早かったのでもう少し続きました。しかし、もう面白くありません。まったく気合が入りません。

 

4.モハ2507+クハ2557 (大室~信濃川田:1993年5月)

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C07編成がやって来ました。ここで気づきましたが、さっきのC10編成は前面の屋根周りが赤色でしたが、C07編成は赤色ではなく坊主頭です。もともと、このC07編成の坊主頭が本来の塗分けだったとのことで、ある時期から前面屋根まわりが赤ハチマキになったそうです。

 

5.モハ2507+クハ2557 (金井山~大室:1993年5月)

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まあ、どちらの塗分けでも問題ありませんが、もう東急電車しか来ないので、本線(長野線)の車両は無視してそろそろ引き上げることに。しかし、その後は撮影目的で長野電鉄を訪れたことは現在までありません。

 

6.モハ2510+クハ2560 (金井山~大室:1993年5月)

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何とも中途半端な撮影になりましたが、この河東線はかつて上野から湯田中へ直通する国鉄の急行電車が乗り入れる路線でした。それも1981年になくなりローカル輸送専業となりましたが、輸送需要の減少に歯止めがかからず、信州中野~木島間が2002年に廃止され、屋代~須坂間も2012年に廃止となりました。その間に車両は元東急5000系から元営団3000系となり、さらに元東急8500系、元東京メトロ03系へと変遷していますが、残った本線的存在の長野~湯田中間もかなり厳しそうです。