再び、大雄山の車庫に戻ります。
この時点で、既に新車は3編成導入されていましたが、まだ旧型車は3連が4本と、機関車代用の両運車が1両在籍していました。
1.モハ65、モハ165他 (大雄山:1988年11月)
日中は、やはり新車が優先して使用されるので、余った旧型車は昼寝です。
この日は、撮りたかったモハ65+サハ83+モハ64とモハ66がちょうどよい場所に出ていました。モハ65とモハ165は共に非貫通でHゴム3枚窓の正面なので似たような車両ですが、モハ65は雨樋付きで、張り上げ屋根のモハ165と比べて決定的に旧国らしい風貌です。
2.モハ65+サハ83+モハ64 (大雄山:1988年11月)
残っていた旧型車の中でも、風前の灯だったのが、モハ65+サハ83+モハ64の3連(注1)です。
この3連は3両とも旧国ですが、国鉄を廃車になった後、1967年~1968年に譲受して最初は駿豆線に配属され、その後1980年に大雄山線に転属となりました。
3.モハ64、モハ66 (大雄山:1988年11月)
(注1)モハ64、モハ65、サハ83の車歴
・大雄山モハ64←駿豆モハ64:1967年自社大場工場製(←国鉄クハ16452←国鉄クハ65122←国鉄クハ15030←国鉄サハ26144←国鉄サハ33570:1924年日本車輌製)
・大雄山モハ65←駿豆モハ65:1967年自社大場工場製(←国鉄クハ16491←国鉄クハ65117←国鉄クハ15029←国鉄サハ26143←国鉄サハ33569:1924年日本車輌製)
・大雄山サハ83←駿豆サハ83:1967年自社大場工場製(←国鉄クハニ19003←国鉄クハ16217←国鉄クハ16125←国鉄クハ38083←国鉄モハ30141:1927年汽車会社支店製)
これらの車両は、旧国の廃車体を利用して電装化した名義上は自社製の新製車でした。
4.モハ66 (大雄山:1988年11月)
そして、両運車で唯一残ったのがモハ66(注2)です。
この車両は少し前まで、モハ51+サハ81+モハ66の3連を組んでいましたが、3000形の増備により相棒は1987年に廃車となり、モハ66だけが残りました。この車両は両運だったので、大雄山線の機関車代用として残されたもので、定期検査などで駿豆線の大場工場に入場する車両の大雄山線内の甲種回送や保線用に充当されました。この時点では、形式はモハ60形の所属でしたが、1992年に工事専用車として、コデ66に改番となります。
5.モハ66貫通面 (大雄山:1988年11月)
こちらは3連だった頃の連結面で、貫通路が維持されていました。前面窓はHゴム化されておらず、精悍な容姿でした。
6.モハ66の車内 (大雄山:1988年11月)
車内はかなり改造されていますが、元国鉄クモハ12形だったと言われれば、座席の袖仕切りの形状など、なんとなくそんな感じにみ見えます。
7.モハ66 (大雄山:1988年10月)
(注2)モハ66の車歴
・大雄山モハ66←駿豆モハ66:1969年自社大場工場製(←国鉄クモハ12000←国鉄モハ34001:1933年汽車会社支店製)