1995年3月末に南海の離島だった貴志川線のモハ1201形が引退してしまいました。これで南海電鉄もようやく新性能化がなされたかと思いました。
・・・が、しかし、大阪市内に、こっそり吊掛車が残っていました。
1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月)
ここは南海高野線から切り離されてしまった、通称「汐見橋線」です。この路線には、かつてカルダン車の6000系が走っていたような気がしましたが、こんなところに吊掛車がいました。しかも、この路線で走る全列車が吊掛車です。
2.クハ3901+モハ1521 (岸里玉出:1995年7月)
ご存知の通り、汐見橋線は元々高野線として開業した本線でした。しかし、南海電鉄の大阪の拠点が難波に統合されたため、岸里玉出~汐見橋間4.6kmは盲腸線に成り下がってしまいました。そして、この頃は南海電鉄の高架化工事の真っ最中で、汐見橋線は本線から分断されており、完全な独立路線になっていました。
3.クハ3903+モハ1528 (岸里玉出:1995年7月)
ここは、路線分断当時の汐見橋線の岸里玉出駅です。線路1本、ホーム1面のなんとも貧相な仮設駅でした。そして列車も、これまた貧相な1521系!!
4.クハ3905+モハ1529 (芦原町~汐見橋:1995年7月)
この電車こそが、今回の話題である南海電鉄最後の吊掛車1521系です。1521系(注1)は1959年~1962年に当時の木造車淘汰の目的で製造された車両ですが、その臓物は戦後に運輸省から割り当てられた国鉄63形である1501系の電装品などを流用した吊掛車です。製造当初は本線用でしたが、昇圧時に同型車である2051系を形式編入し、支線用に転じて細々と運用されていました。そして、晩年は汐見橋線に集結して1995年8月に最後を迎えました。
5.クハ3901+モハ1521 (芦原町~汐見橋:1995年7月)
(注1)1521系の車歴
①1521系オリジナルグループ
・南海モハ1521,1522:1959年帝国車輌製
・南海モハ1523,1524:1959年日立製作所製
・南海モハ1525,1526:1960年帝国車輌製
・南海モハ1527,1528:1960年日立製作所製
②2051系からの形式編入グループ
・南海モハ1529,1530←南海モハ2051,2052:1961年帝国車輌製
・南海モハ1531←南海モハ2053:1962年帝国車輌製
・南海クハ3901←南海サハ3801:1959年帝国車輌製
・南海クハ3902←南海サハ3802:1959年日立製作所製
・南海クハ3903←南海サハ3803:1960年帝国車輌製
・南海クハ3904←南海サハ3804:1960年日立製作所製
・南海クハ3905,3906←南海サハ3805,3806:1961年帝国車輌製
・南海クハ3907,3908←南海サハ3807,3808:1962年帝国車輌製
・南海クハ3909←南海モハ2054:1962年帝国車輌製
上記のクハ3908,3909は、1985年廃車。
6.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月)
1521系は、通常は2連(モハ1521形+クハ3901形)で運用されましたが、ローカル線の単行運転用として、昇圧時にモハの偶数車を両運車に改造し、天王寺支線などでも使用されました。