今回は、なぜか撮影に気合の入らなかった秩父鉄道です。
秩父鉄道は路線長が70kmにも及ぶ長大路線であり、準大手のような存在だったことと、車両もそれほど面白くなかったのが気合の入らなかった理由と思います。
もともと私は電車にはあまり興味がなく、気動車ばかり追い掛けていましたが、1983年5月に廃止直前の東武鉄道熊谷線を見に行った際に、どういうわけか熊谷駅で秩父鉄道の車両を撮影していました。インスタントカメラで撮影したプリントのスキャンなので画像が粗くお見苦しい写真ですが、少々ご覧下さい。
1.デハ100形他4連 (熊谷:1983年5月)
当時の秩父鉄道は旧型車といえば、この100系(デハ100形(注1)、クハ60形(注2)、クハニ20形(注3))が存在していましたが、皆同じ顔をしており、イマイチ興味をそそりませんでした。しかし、その車歴は様々で、一筋縄では語れません。ここでも「車歴の呪縛」に翻弄されました。
(注1)デハ100形の車歴
・秩父デハ101,102:1950年日本車輌製(←省マユニ29005,マユニ29006)
・秩父デハ103,104:1951年日本車輌製←秩父デハ10,12:1921年梅鉢鉄工所製
・秩父デハ105~107:1952年日本車輌製←秩父デハ17~19:1925年日本車輌製
・秩父デハ108:1952年日本車輌製←秩父デハ11←秩父クハ13:1921年梅鉢鉄工所製
・秩父デハ109,110:1953年日本車輌製←秩父デハ13,14:1923年梅鉢鉄工所製
デハ100形は車両近代化名目で13両導入されました。このうちデハ101、102は新製名義ですが、実態は元鉄道省の木造客車の台枠流用と言われています。以下デハ103~113は、電化当初に製造された木造電車の鋼体化改造名義ですが、800系の増備により1983年時点では、すでにデハ111~113は廃車されていました。
(注2)クハ60形の車歴
・秩父クハ65:1953年日本車輌製←秩父クハ11:1925年汽車会社製
・秩父クハ66:1953年日本車輌製←秩父クハ31←国鉄サハ25010:1919年汽車会社製
・秩父クハ67:1953年日本車輌製←秩父クハ32←国鉄サハ25029←国鉄サハ23629←国鉄サハ23627←国鉄デハニ6470←国鉄デハニ6258←国鉄ナデ6108←国鉄ホデ6108←国鉄ホデ9:1909年日本車輌製(クハ67の車歴は鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯第3輯による)
クハ60形は、デハ100形とコンビを組む制御車として、7両導入されましたが、この車両も恐ろしいほど複雑な過去を持つ面々でした。クハ61,63,64はサハ化されましたが、1980年に廃車となり1983年当時はクハ65~67の3両が残っていました。
(注3)クハニ20形の車歴
・秩父クハニ21Ⅱ:1953年日本車輌製←秩父クハニ21:1921年梅鉢鉄工所製
・秩父クハニ22Ⅱ:1951年日本車輌製←秩父クハニ22:1921年梅鉢鉄工所製
・秩父クハニ23Ⅱ:1953年日本車輌製←秩父クハニ23:1925年汽車会社製
・秩父クハニ24Ⅱ:1951年日本車輌製←秩父クハニ24:1921年梅鉢鉄工所製
・秩父クハニ29Ⅱ←秩父クハユ31:1953年日本車輌製←秩父クハユニ31:1921年梅鉢鉄工所製
クハニ20形もデハ100形とコンビを組む荷物室合造制御車として、10両導入されました。このうちクハニ21~24,29,30は木造車の鋼体化名義、クハニ25~28は新車名義でした。1983年当時はクハニ26,27,30が廃車されていました。
2.デハ502他 (熊谷:1983年5月)
500系(注4)は1962年~1967年にかけて製造された湘南タイプのカルダン車でした。カルダン車なのでどうでも良い存在でしたがなぜか写真を撮っていました。
この500系は、1959年に急行用として製造された300系の増備車でした。300系はクロスシート車ですが500系はロングシート車で、窓割とドア配置が異なり、前照灯が300系は1灯に対し500系は2灯です。長距離路線なのでどちらもトイレ付きでしたが、実際は使用されていませんでした。500系はMc+Tcの2連で使用されましたがユニット車ではありませんでした。300系は1961年に中間車が増備されてMc+T+Mcの3連で使用されました。丸っこい湘南顔はどことなく富士急行の3100形にも似ていますが、ほぼ同年代で製造メーカーも同じ日本車輌なのが理由のようです。
(注4)500系(デハ500形、クハ600形)の車歴
3.クハ852他 (熊谷:1983年5月)
そして、この頃秩父鉄道には、800系(注5)として元小田急1800系が2連10編成も導入されていました。これも興味の湧かない原因でしたが、この車両も元を正せば戦後の国電供出車で、あの悪名高き63形の成れの果てです。
小田急時代に徹底的にテコ入れされましたが、秩父ではあまり長続きせず1990年までに全廃されました。
(注5)800系(デハ800形、クハ850形)の車歴
・秩父デハ801←小田急デハ1801←東急デハ1801←国鉄モハ63050:1946年川崎車輌製
・秩父デハ802←小田急デハ1802←東急デハ1802←国鉄モハ63052:1946年川崎車輌製
・秩父デハ803←小田急デハ1803←東急デハ1803←国鉄モハ633064:1946年川崎車輌製
・秩父デハ804←小田急デハ1804←東急デハ1804←国鉄モハ633098:1946年川崎車輌製
・秩父デハ805←小田急デハ1805←東急デハ1805←国鉄モハ633088:1946年川崎車輌製
・秩父デハ806←小田急デハ1811Ⅱ←小田急デハ1821←国鉄モハ42004:1952年日本車輌製
・秩父デハ807←小田急デハ1807Ⅱ←小田急デハ1810←東急デハ1810←国鉄モハ63252:1946年汽車会社製
・秩父デハ808←小田急デハ1808Ⅱ←小田急デハ1811←名鉄モ3704←国鉄モハ63129:1946年日本車輌製
・秩父デハ809←小田急デハ1809Ⅱ←小田急デハ1812←名鉄モ3705←国鉄モハ63131:1946年日本車輌製
・秩父デハ810←小田急デハ1810Ⅱ←小田急デハ1813←名鉄モ3706←国鉄モハ63123:1946年日本車輌製
・秩父クハ851←小田急クハ1851←東急クハ1851:1946年日本車輌製?
・秩父クハ852←小田急クハ1852←東急クハ1852:1946年日本車輌製?
・秩父クハ853←小田急クハ1853←東急クハ1853←国鉄モハ63317:1946年日本車輌製
・秩父クハ854←小田急クハ1854←東急クハ1854←国鉄モハ63319:1946年日本車輌製
・秩父クハ855←小田急クハ1855←東急クハ1855←国鉄モハ63305:1946年日本車輌製
・秩父クハ856←小田急クハ1861Ⅱ←小田急クハ1871←小田急クハ1661←国鉄モハ60050:1950年日本車輌製
・秩父クハ857←小田急クハ1857Ⅱ←小田急クハ1860←東急クハ1860←国鉄モハ63193:1947年汽車会社製
・秩父クハ858←小田急クハ1858Ⅱ←小田急クハ1861←名鉄ク2704←国鉄モハ63272:1946年近畿車輌製
・秩父クハ859←小田急クハ1859Ⅱ←小田急クハ1862←名鉄ク2705←国鉄モハ63274:1946年近畿車輌製
・秩父クハ860←小田急クハ1860Ⅱ←小田急クハ1863←名鉄ク2706←国鉄モハ63276:1946年近畿車輌製
800系は、デハ801+クハ851~デハ810+クハ860の2連で使用されました。秩父鉄道初の4ドア車で完全な通勤仕様車でしたが、所詮旧国の成れの果てで、くたびれた吊掛車だったので、既存の旧型車もろとも元国鉄101系に置き替わりました。
ところで、この車両も車歴がはっきりしない部分があります。例によっていろんな文献で諸説確認しましたが、何が本当か?今回列挙した車歴もどこまで本当か自信がありません。本当のことがわかる方がいらっしゃったらご教示願います。
さて、この写真から1986年となり、まともなカメラでの撮影です。この写真もわざわざ撮影に出向いたものではなく、秩父方面へトロッコの散策に出向いた時に撮ったもので、まったく気合が入っていません。しかし、100系はこの頃が最後の活躍時期でした。
5.クハ609+デハ509 (武州日野~浦山口:1986年2月)
ついでに500系も撮っていましたが、正面に陽も当たらず、いかに適当だったのかが良くわかります。
6.デハ509+クハ609 (武州中川:1986年2月)
しかしながら、500系の写真もこれだけです。
ところでこの写真を撮った武州中川には、複線索道のトロッコ軌道がありました。実はこの日、そのトロッコ軌道を見に出かけたのですが残念ながらすでに廃止されたようで、走っていませんでしたが、複線の軌道はまだ残っていました。
7.デキ507 (秩父:1986年2月)
そして秩父鉄道と言えば貨物です。しかし電気機関車も画一化されており、これも興味が湧きません。
1986年時点、電気機関車はデキ100形が8両、デキ200形が2両、デキ300形が3両、デキ500形が7両在籍していました。メーカーは全て日立製作所製です。
デキ106,107は元松尾鉱業の車両でしたが、それ以外は全て自社発注車です。形態は皆同じような箱型デッキ付きのいわゆるEDタイプで、デキ101は48t機、デキ106,107が49.5t機で、それ以外は50t機です。
写真のデキ507はデキ500形(注6)の最終増備車で、現在も健在です。
(注6)デキ500形の車歴