ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第89話 1987年日立 ローカル私鉄的改造車の美学(その4)

引き続き日立電鉄の車両です。

ところで、日立電鉄の車両は結構まめに手が加えられていました。訪問するたびに何かが変わっていました。そして手が加わるたびにブサイクになって行きます。この傾向はローカル私鉄によく見られます。

当時は美的センスを疑っていました。しかし、今改めて写真を見ると一貫したブサイクさに独自の改造美学が伺えます。

 

1.奇面組!!モハ1301、モハ11(大甕:1987年3月)

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日立電鉄的改造美学とでも言いましょうか、これが鉄道車両の素のデザインと思えば実に納得できます。

 

2.モハ1003Ⅱ非貫通面(大甕:1987年3月)

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 モハ1003Ⅱはモハ1000形の移籍第2グループに属する車両ですが、他のモハ1000形は決められた運用に従事していたのに対し、この車両だけはフリーターでした。しかし、余剰車ではなく、この車両はモハ1000形の予備車ということで両運化(非ワンマン車)され、モハ1000形のどれかが検査入場した際のピンチヒッターとして使用されていたようです。

 

3.モハ1003Ⅱ貫通面(大甕:1987年3月)

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 写真はモハ1003の鮎川寄りの貫通面です。この車両はスイッチヒッターなので両運化されていましたが、前照灯とワイパーがなければ中間連結面そのままです。ローカル私鉄ならではの最小限の改造ですが、日立電鉄らしい改造美学です。

(注1)モハ1000形(1003Ⅱ)の車歴
・日立モハ1003Ⅱ←相模モハ1003←相模デハ1157←東急デハ1157←小田急モハ7:1927年日本車輌製 

 

4.クハ2503+モハ1007 (鮎川:1987年3月)

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 写真のクハ2503(注2)は、第86話でご紹介したクハ2504の同僚で、共に1979年にやって来た元相模鉄道の寄せ集め2000系一族の成れの果てです。

 (注2)クハ2503の車歴:日立クハ2503←相模クニ2511←相模クハ2511:1965年東急車輛
なお、相模クハ2511は元国鉄クハ16121の台枠、台車を流用した再生車両です。

 

5.モハ1007+クハ2503 (鮎川:1987年3月)

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モハ 1000形(注3)の第3移籍グループは、オリジナルの元小田急モハ1形の面影を十分残していましたが、相模時代の荷電の名残である大きな中央扉が「玉に瑕」です。しかしこれもローカル私鉄ならではの、良い意味で手抜きと言いましょうか、ゲテモノとして存在感がありました。

6.モハ1008運転台寄り (久慈浜:1987年3月)

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 モハ 1000形の第3移籍グループは、腐れ縁とでも言うべきか、かつて相模で仲間であったクハ2500形とコンビを組んでいました。クハ2500は常北太田寄りに連結されたため、モハ1007,1009は常北太田寄りの運転台を撤去していましたが、モハ1008は鮎川寄りの運転台を撤去して、当初はモハ1009+クハ2504+モハ1008の3連を組んでいました。

1987年時点モハ1008は、写真の様に3連からはずれて、パートナーもなく予備車となっていました。

 (注3)モハ1000形(モハ1007~1009)の車歴

・日立モハ1007←相模モニ1007←相模モハ1007←相模デハ1163←東急デハ1163←小田急モハ13:1927年日本車輌
・日立モハ1008←相模モニ1008←相模モハ1008←相模デハ1164←東急デハ1164←小田急モハ14:1927年日本車輌
・日立モハ1009←相模モニ1009←相模モハ1009←相模デハ1165←東急デハ1165←小田急モハ15:1927年日本車輌

 

7.移動機 (久慈浜:1987年3月)

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 久慈浜にはご覧のような、かわいい移動機がいました。

さて、1987年の日立電鉄は以上ですが、日立は東京から近い様で遠い非常に中途半端なところでした。常磐線の始発に乗っても朝の4連には間に合いませんし、かと言って前泊するほどでもなく(宿代がもったいない)、結局4連の走行撮影は今回の訪問が最初で最後となりました。しかし、4連は撮れなくともその他の雑多車両が健在なうちに何度か出向きました。日立電鉄の廃止は2005年でしたが、私にとっては雑多な車両が淘汰されたこの10年後の1997年頃が終焉だったように思います。