ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第88話 1987年日立 ローカル私鉄的改造車の美学(その3)

日立電鉄は一時に比べて、雑多な車両がかなり整理されましたが、それでも個性的な車両がまだまだいました。

ところで、日立電鉄も車両改造にはこだわりがあったようです。それは両運車の片妻貫通化と前面窓枠のHゴム化です。Hゴム化は日立電鉄に限らず、どこの鉄道でも実施されていたので、ある意味仕方ありませんでしたが、片妻貫通化は理由がわかりません。

貫通路は常北太田寄りに設置された車両と、鮎川寄りに設置された車両がほぼ半数でした。時々両運車の2連運転もありましたが、貫通路を使用している様子はありませんでした。貫通路の有無で違った車両に見えるので、やたら車両数が多いような錯覚を起こします。

 

1.モハ9貫通面(常北太田:1987年3月)

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写真のモハ9はモハ10と共に、戦時中の資材不足時に製造された自社発注車のモハ9形(注1)です。当時5両発注したものが結果的に2両のみの竣工となりました。しかも電気品は製造メーカーの日立製作所の手持ち品だったそうで、それだけ車両の調達が難しかったわけです。ところでモハ9形は日立電鉄初の本格的な3ドア半鋼製ボギー車で、当初から両運車であったことからワンマン化されました。

(注1)モハ9形の車歴:日立モハ9,10:1944年日立製作所

 

2.クハ109+クモハ110(常北太田:1987年3月)

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クハ109+クモハ110(注2)は1979年に静岡鉄道からやって来ました。この2両は静岡時代から2連でコンビを組んでおり、元はクハ109も電動車でしたが、日立電鉄移籍後の1981年にクハ化されました。1965年製で日立電鉄では初の全鋼製車両ですが、容姿に似合わず吊掛車でした。この車両は静岡鉄道長沼工場製です。静岡鉄道は以前から車両の自給自足を行っており、たいしたものです。 ちなみに同形車が熊本電鉄にも譲渡されて活躍していました。

(注2)クハ109+クモハ110の車歴

・日立クハ109←日立クモハ109←静岡クモハ109:1965年静岡鉄道製

・日立クモハ110←静岡クモハ110:1965年静岡鉄道製

 

3.モハ1004+モハ1002Ⅱ+サハ1501+モハ1005(鮎川:1987年3月)

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 元小田急モハ1形のモハ1000形、サハ1500形で構成されたラッシュ専用の4連です。

2両目のモハ1002Ⅱだけ異なった形態をしており、編成美を乱していますがご愛嬌です。

写真は鮎川の留置線で昼寝の状況ですが、この4連は平日に1日1往復しか走らない極めて非効率な存在でした。

モハ1000形は日立電鉄への導入経緯から3グループに分類されますが、この4連の先頭車であるモハ1004,1005(注3)は最初に小田急から直接転籍して来たグループです。

 (注3)モハ1000形(モハ1004,1005)の車歴
・日立モハ1004←日立モハ1001←小田急デハ1102←小田急デハ1152←東急デハ1152←小田急モハ2:1927年日本車輌
・日立モハ1005←日立モハ1002←小田急デハ1104←小田急デハ1154←東急デハ1154←小田急モハ4:1927年日本車輌

 

4.サハ1501(鮎川:1987年3月)

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日立電鉄で当時唯一の中間付随車だったサハ1501(注4)です。この車両も元小田急モハ1形でしたが、小田急時代に実質サハ化されており、日立電鉄移籍後に外観はモハ1000形同様に改造され、両妻貫通路付きとなっていました。 

(注4)サハ1501の車歴:日立サハ1501←小田急デハ1103←小田急デハ1153←東急デハ1153←小田急モハ3:1927年日本車輌製:1927年日本車輌

 

5.モハ1002Ⅱ(鮎川:1987年3月)

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4連の中間電動車で、唯一異なる外観だったのがモハ1002Ⅱ(注5)です。この車両は相模時代に3連(モハ1001+モハ1002+モハ1003)の中間車となり、1963年に3連ごと日立電鉄に移籍してきましたが、転籍後は3連を解いて3車3様の経過をたどり、モハ1002Ⅱは4連の中間車に落ち着きました。中間車とは言えなぜこの車両だけ異形態となったのか不思議です。なお、電動車ですがパンタは無く、両妻貫通路付きとなっていました。

(注5)モハ1000形(モハ1002Ⅱ)の車歴

 ・日立モハ1002Ⅱ←相模モハ1002←相模デハ1156←東急デハ1156←小田急モハ6:1927年日本車輌

 

6.モハ1006(久慈浜:1987年3月)

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モハ1006(注6)はモハ1000形で唯一ワンマン化された車両で、両妻貫通です。この車両はモハ1000形の移籍第1グループですが、車体更新後の外観は同時期に移籍してきたモハ1004,1005とは異なり、窓が小さく、ウインドシル・ヘッダーが残る旧態然とした車体でした。

(注6)モハ1000形(モハ1006)の車歴

 ・日立モハ1006←日立モハ1003←小田急デハ1109←小田急デハ1168←東急デハ1168←小田急モハ18:1927年日本車輌

 

7.クモハ351(久慈浜:1987年3月)

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 写真は当時日立電鉄で一番新しい車両だったクモハ350形(注7)です。この車両は静岡鉄道から1984年にやって来た静岡鉄道お手製の車両です。

導入当初は静岡鉄道色で使用されていました。この車両も車体は1968年製造で新しいですが、臓物は元鶴見臨港鉄道の買収国電モハ18,19から流用されたもので、バリバリの吊掛車でした。

なお、日立電鉄では、クモハ351のパンタを下げてクハとして使用しました。

(注2)クモハ351+クモハ352の車歴
・日立クモハ351+クモハ352←静岡クモハ351+クモハ352:1968年静岡鉄道製