ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第188話 1986年富士急 微妙な観光路線

1986年8月は甲信地方のローカル私鉄早回りを行いました。この時は富士急行松本電鉄上田交通を回りましたが、今回はその時初訪問した富士急行の話題です。

 

1.5700系2連(三ツ峠~寿:1986年8月)

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 この初訪問まで富士急行の存在は富士急ハイランドや河口湖、そして富士山一帯の観光鉄道で、国鉄から乗り入れもある、とてもローカル線とは思えない存在でした。しかし実際を見てみると、沿線は富士吉田以外に大きな街もなく、路線の大半は山の中で、これをローカル線と言わずして何なのか?と言うほどのローカル線でした。

 

2.5700系2連(寿~三ツ峠:1986年8月)

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 富士急の難点は、古い車両がいないことでした。やはり観光地なのでボロ電車と言うわけにはいかなかったのか、自前のロマンスカー3100形など、それなりの車両も揃えていたわけです。

しかし、いつのまにか通勤電車である元小田急の中古車が幅を利かせていました。

せっかく旅行に来たのに、見たことある様な、くたびれた小田急電車では楽しい旅行も通勤気分で幻滅です。

 

3.5700系4連(上大月~大月:1986年8月)

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 が、しかし、この元小田急電車には、知る人ぞ知る元特急車の成れの果てが混ざっていました。

 この車両は富士急では5700系(注1)と称していました。1982年~1984年に16両が小田急からやってきましたが、小田急時代は4形式に分類されており、1982年に譲受したのは元特急車の①デハ2300形4両と、前面非貫通2枚窓で小田急初のカルダン車の②デハ2200形2両、1983年に譲受した4両は週末急行用の2扉クロスシート車だった③デハ2320形、1984年に譲受した6両はデハ2200形の量産車④デハ2220形でした。

 

4.5700系4連(三ツ峠~寿:1986年8月)

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 (注1)5700系の車歴

・富士急デハ5701+デハ5702←①小田急デハ2302+デハ2301:1955年日本車輌

・富士急デハ5705+デハ5706←①小田急デハ2304+デハ2303:1955年日本車輌

・富士急デハ5707+デハ5708←②小田急デハ2212+デハ2211:1956年日本車輌

・富士急デハ5711+デハ5712←③小田急デハ2326+デハ2325:1959年川崎車輌

・富士急デハ5715+デハ5716←③小田急デハ2328+デハ2327:1959年川崎車輌

・富士急デハ5717+デハ5718←④小田急デハ2224+デハ2223:1958年日本車輌

・富士急デハ5721+デハ5722←④小田急デハ2226+デハ2225:1958年日本車輌

・富士急デハ5725+デハ5726←④小田急デハ2228+デハ2227:1958年日本車輌

 

5.5700系2連(三ツ峠~寿:1986年8月)

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 5700系は小田急初のカルダン車でした。

ちなみに、この車両の小田急時代の写真は1枚も撮っていません。本来であれば興味のない電車の部類ですが、その頃は初期のカルダン車もそろそろ古くなってきており、吊掛車亡きあと、第2の職場で余生を送るカルダン車に目を向けざるを得ない状況になっていました。

 

6.5700系4連(河口湖:1986年8月)

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一時期富士急には5700系が2連8編成(16両)も在籍し、その他の車両は富士急オリジナルの3100形2連1編成と5000形2連1編成しかおらず、まさに小田急富士急行線と化していました。

 この5700形は小田急時代から酷使されていた車両でしたが、結構丈夫で、富士急でも主力車として使用され、後に京王帝都から5000形を譲受する1993年~1997年まで活躍しました。なお、小田急時代の兄弟車で唯一富士急以外に譲渡された新潟交通のモハ2220形は新潟交通が廃止となった1999年まで活躍しました。(新潟交通モハ2220形については第7話をご覧下さい。)