ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第189話 1986年富士急 微妙な観光路線(その2)

富士急はかつて国鉄キハ58形と同じ車両を保有し、国鉄中央線の急行アルプス号に併結して新宿まで乗り入れていました。その頃から富士五湖一帯の観光鉄道だったわけですが、中央本線が電化されてから新宿乗り入れは廃止され、以降は国鉄から急行列車や臨時列車が一方的に乗り入れて来るようになり現在に至ります。

(富士急のキハ58形はその後和歌山県有田鉄道に移籍します。その後の状況は第48話をご覧下さい。)

観光列車は国鉄に任せた感じですが、富士急が微妙な観光路線である証しが、自社発注車の3100形でした。

現在富士急には元小田急ロマンスカーの成れの果てが自社のロマンスカーとして活躍しています。最近は看板列車も中古車で賄う時代になってしまいましたが、ひと昔前までは、看板列車は自社発注のオリジナル車両と言うのが定番で、ここぞとばかりに各鉄道会社は気合をいれて発注したものです。

この3100形はまさしく富士急の看板列車でした。

 

1.モハ3101+モハ3102 (三ツ峠~寿:1986年8月)

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 3100形(注1)は富士急創立30周年を記念して自社発注された電車です。2扉セミクロスシート車で狭軌初のWNカルダン車で、多少近代化した湘南顔です。お馴染みのこの塗装も3100形からです。

先に登場した名鉄5000形の影響を受けた様なデザインで、後輩の長電2000形とも似ていますが、いずれも日本車輌製の初期のカルダン車です。

 

2.モハ3102+モハ3101 (田野倉~上大月:1986年8月)

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(注1)3100形の車歴

・富士急モハ3101+モハ3102:1956年日本車輌

3100形は2連2編成が在籍しましたが、第2編成は踏切事故で空気ブレーキの供給配管が破損してブレーキが利かなくなり、暴走後に脱線転覆する大事故に遭い廃車となりました。

この事故により、空気ブレーキ系統を2重化することになり、その後新製となる全ての鉄道車両に保安ブレーキの設置が義務付けられることになりました。

 

3.モハ3101+モハ3102 (河口湖:1986年8月)

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 3100形の設計で面白いのは、運転室寄りのドアにはデッキが付いているのに、連結面寄りのドアにはデッキがありませんでした。これは、冬季は暖房の利きをよくするため、デッキのないドアを締め切って使用するアイデアだったそうです。

 

4.モハ3102+モハ3101 (河口湖:1986年8月)

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 3100形は一見して観光列車風ですが、実態として観光列車は国鉄からの乗り入れ車に委ねられていたのと、連結相手がいなかったため多客期に運用に入れず、観光用にも主力にもなれず中途半端な存在になってしまいました。

 

5.モハ3101+モハ3102、モハ3602+モハ3603 (河口湖:1986年8月)

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 富士急の多客期は、ほとんどの列車は4連となります。残念ながら富士急オリジナルの車両は2連運用限定のため、多客期は昼寝です。

この日、河口湖の留置線には3100形と、富士急生え抜きの3600形が寝ていました。