ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第336話 1990年秩父:なぜか気合が入らず!!(その2)

秩父鉄道は、写真がほとんどありません。

結局、秩父鉄道のまともな撮影を行わないまま、旧型車は引退してしまいましたが、1990年に観光目的?で秩父に出向いた際に、三峰口の構内に保存された車両に遭遇しました。これもとりあえず撮影していましたので、今回報告します。

 

1.保存車:クハニ29Ⅱ+デハ107 (三峰口:1990年9月)

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 1990年当時の保存車は、クハニ29+デハ107、デキ1、ED381、ワフ51の計5両で、車内の見学もできるようになっていました。この場所は三峰口駅の構内外れにあり、秩父鉄道車両公園として整備されたもので、その後も貨車の保存車が増備されました。

 

2.保存車:クハニ29Ⅱ+デハ107 (三峰口:1990年9月)

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デハ100形、クハ60形、クハ二20形はみな同じ顔をしていましたが、側面のドア配置が異なりました。デハ100形は2ドア車で、クハ60形は3ドア車、そしてクハニ20形は3ドアですが運転室寄りのドアが荷物室用で運転室のすぐ後ろにあり、そこが荷物室でした。

 

3.保存車:クハニ29Ⅱの車内 (三峰口:1990年9月)

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クハニ29Ⅱは他のクハニ20形とは異なる経過を辿り、車体更新後はクハユニ31となり、クハニ20形と同形態の荷物室合造車でしたが郵便合造車として区分されました。しかし、郵便輸送が廃止されると、ちょうどクハニ20形の異端車で休車中だった初代クハ二29に代わって2代目クハニ29となり、奇しくもクハニ20形の代表車としてデハ107と共に保存展示となりました。

 

 4.保存車:ED381 (三峰口:1990年9月)

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 ED38形は元阪和電鉄ロコ1000形を前身とする国鉄買収電機です。

秩父鉄道にはED381~383の3両が集結しましたが、出力が小さい関係で新税のデキ500形の増備で廃車となり、最後まで残ったED381(注1)が保存されました。

(注1)ED381の車歴

秩父ED381←国鉄ED381←阪和ロコ1001:1930年日本車輌

 

5.保存車:デキ1 (三峰口:1990年9月)

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 デキ1形は、秩父鉄道電化時に5両導入されたウエスチングハウス社製の舶来機で当初はDC1200V仕様でした。その後国鉄の直流電化仕様に合わせてDC1500V化されました。この車両も大型機の増備で活躍の場が狭くなり、最後まで残ったデキ1(注2)が保存されました。形態は凸型38.2tで、他車のウエスチングハウス社製同様に妻面の出入り口の関係でボンネットが前後で非対称配置となっています。

(注2)デキ1の車歴

秩父デキ1:1918年ウエスチングハウス社製

 

6.保存車:デキ1 (三峰口:1990年9月)

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 いままで適当に見てきた車両達ですが、改めてじっくりと見ることができました。

それにしても、これらの保存車両をチョイスした秩父鉄道には、かなりマニアックな方が居られたのではないかと思います。しかしながら、これらの保存車両も老朽化には勝てず、つい最近、保存から30年目にして処分されたようです。非常に残念です。

 

7.1000系3連 (三峰口:1990年9月)

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 ただでさえ撮影に気合が入らなかった秩父鉄道ですが、その決定的となったのがこの1000系導入です。この車両は説明するまでもなく元国鉄101形です。旧型車の置き換え用に導入されましたが、一挙に3連が12編成も配属されて、あっと言う間に吊掛車がいなくなりました。これ以降、秩父鉄道とは縁が切れてしまい、現在に至りますが、この1000系も過去の車両になってしまいました。